フィリピンのモロ人が、フィリピンのセブ島のアストゥリアスにおいてアメリカ軍に対して反乱を起こした。モロ人剣士はジュラメンタード(Juramentado)の自殺攻撃により、1910年3月9日にアメリカ軍の第2騎兵隊のロドニー将校を殺害した。モロ人剣士は、アメリカ軍兵士により銃殺されて、イスラム教徒として殉教死した。占領と侵略をするアメリカ人兵士や警察に対抗して、ジュラメンタードと呼称され、殺されることを予期して、殉教の形態としてジハードをする自爆攻撃を挙行した。ジュラメンタードは、イスラム教徒のジハードによる無差別な暴力行為とは異なり、イスラム教徒でなくてもジュラメンタードは犠牲的で、計画的で、時には非常に熟練した殺人者となり、鋭い武器で武装した武勇な自爆攻撃を達成した。
アメリカは米西戦争後に、ミンダナオ島とスールー諸島を含むフィリピンの領土を侵略した。スペインがアメリカに敗れて以来、フィリピン列島内のスペインの植民地はすべて、パリ条約でアメリカに割譲されて、米西戦争は終結を告げた。スペイン領の植民地化に勝利したアメリカ軍に対して、モロ人は土地の引き渡しを拒否して闘争を続けた。モロ人共同体の主権に基づく紛争は、今日でも群島に影響を与え続けている。モロの反乱(1899年–1913年)は、米比戦争後にモロ人とアメリカ軍の武力紛争が勃発した。モロ人は、ミンダナオ島、ジョロ島、近隣のスールー諸島を含むフィリピン南部に居住するイスラム教徒の民族である。イスラム教徒のモロ民族は、フィリピン人、アメリカ人、日本人、スペイン人に対する暴力的な武力闘争は約400年にわたる民族解放運動であった。モロ人による抵抗運動は、フィリピンからの独立戦争へと引き続いた。スペインの侵略者との何世紀にもわたる戦争により、モロ人の間で「ジハードの文化」が生まれれた。
近年のイスラム教系のモロ民族は、イスラム国家の分離独立を求めて1970年代にモロ民族解放戦線(MNLF)が武装闘争を展開した。1976年に政府と停戦協定を結んだが、1978年に別の武装組織がモロ・イスラム解放戦線(MILF)を設立した。1996年のジャカルタ協定の締結によりMNLFは武装解除した。2001年から内部対立による紛争が再燃した。