カンボジアのシェリム・アップ州にて、子供が1990年に地雷に被爆して、両側の下腿が爆破されて切断された。蚊帳の中で、苦悩しながら横たわった。1975年にカンボジアの共産主義勢力によって、強制排除された。1979年までクメールルージュによる大量虐殺、アメリカ軍による爆撃、ベトナム占領など数十年にわたる戦争のために、最も大量の約600万個もの地雷が埋められたままである。毎年数十人以上もの市民が、戦闘で残存した地雷やその他の不発弾により、被爆負傷や被爆死している。地域の道、田んぼや農地、裏庭などに埋没している。特に子供たちは、通学する道路で被爆して、犠牲者の約3分の1にも達した。地雷の目的は、人を殺すためだけでなく、手や足だけを吹っ飛ばして傷ついた兵士により必要な兵士の戦力を奪うことであった。カンボジアでは約4万人が地雷によって四肢を切断された。
シェムリアップ北に約25kmにカンボジア地雷博物館がある。カンボジアには数百万個の地雷が地中に潜在している。シェリム・アップ州は、巨大な宗教建築であるアンコールワットの玄関口にある。アンコール・ワート付近で地雷博物館は、元クメールルージュ軍により子供兵士から徴兵されたアキ・アラーが創設した。自力で地雷を除去しては、地雷を展示して、1977年に地雷博物館を解説した。2006年に強制閉鎖されて、シェリム・アップから約40kmも離れたバンデアイスレイ寺院付近に2007年に再開設した。地雷除去する村々には、下肢や上肢が地雷で切断された子供が多くいた。すべての村には、約20%がまだ地雷原や不発弾が潜在している。特に死傷者の約70%は、カンボジアの北西部の約750kmのタイ国境沿いに集中している。地雷禁止国際キャンペーンは1997年にノーベル平和賞を受賞した。