2019年12月10日火曜日

コソボのナガフ村で、数人の友人らが死体安置所から連れてきた息子の死体に母親は慟哭した。

1990年1月29日にコソボの自治を廃止するユーゴスラビア政府の決定に抗議したエルシャニ・ナシム(28歳、男性)は殺害された。数人の友人らが死体安置所から連れてきた息子の死体に母親は慟哭した。母親は、両腕を広げて嘆き悲しみ、他の人々は泣きながら集まって死体の世話をした。家族と隣人は、死体の周りを取り囲んで同情しながら悲しむ母親を慰めた。部屋の内部で女性らは、お互いを握りしめていた。キリスト教とイスラム教が共感した図像ともなり、レンブラントの絵をも連想させた。
 彼はセルビアの暴政とアルバニア人に対する文化的弾圧に抵抗する平和的な抗議に参加していて、セルビア軍親衛隊に殺害された。若者の自治主義者とセルビア軍との間にいくつかの衝突をした。1月27日にセルビア軍親衛隊は、ナガフの村から数km離れたラホヴェツの集会に行った数人の若者を待ち伏せた。1月29日に抗議者たちに実弾を発射して、約4人が死亡して、約32人が負傷した。
 10年近く経過してからコソボ紛争が勃発した。1998年3月にドレニカでセルビア軍による最初の大規模攻撃があった。1999年4月12日にアルカンと虎は準軍事的民兵であるセルビア軍がナガフの村に侵入して略奪して灰と焼いた。1999年6月には、国際刑事裁判所が戦争犯罪でアルカンを起訴した。1999年6月10日の国連決議1244に基づき、NATOはコソボ治安維持部隊(KFOR)がマケドニアおよびアルバニアからコソボに入国した。セルビア軍と武装解除されたコソボ民族主義者の対立に注意を払わなかった。2008年2月17日にコソボ議会が、コソボ共和国の独立を宣言した。しかし、国連はコソボを国家として承認できていない。(写真:ジョルジュ・メリヨン)