トゥールーズは敗北から勝利した1942年は、まさに世界大戦における転換点となった。1942年8月19日に数千人のカナダ兵がドイツ軍の砲火の下で命を落としたディエップの惨事が勃発した。それから3ヶ月も経たないうちに、連合軍が北アフリカに勝利を収めて上陸した。11月8日のイギリス・アメリカ軍による上陸は、ドイツ軍とイタリア軍に境界線を越える好機を与えた。11日には、「自由地域」全域が数時間のうちに占領され、休戦軍はまったく抵抗できなかった。マルセイユ、トゥールーズ、リヨンが占領されたとき、トゥーロンはまだ数時間は自由を保っていた。
1942年は、第二次世界大戦の戦況に劇的な転換点となった。同年の前半から半ばにかけて、連合国側は厳しい敗北や苦戦を強いらた。その象徴が1942年8月19日に発生した「ディエップの戦い(ディエップの惨事)」である。フランス北部のディエップに上陸を試みた数千人ものカナダ兵を中心とする連合軍が、強固なドイツ軍の砲火と防衛陣地を前に圧倒され、多大な犠牲を出して撤退した大惨劇に終わった。連合軍の反撃能力に対して悲観的な見方も強かった。
しかし、この大敗北からわずか3ヶ月も経たないうちに、同年11月8日、連合軍は「トーチ作戦」を決行し、北アフリカへの上陸を成功させた。北アフリカでの勝利と上陸の成功は、優勢であった枢軸国(ドイツ・イタリア)側に対して連合国が反撃を上げる一手となった。
連合軍による北アフリカ上陸は、フランス本土に決定的な影響を及ぼした。フランスは、ドイツの直接占領地域と、ヴィシー政権が統治する「自由地域(南部)」に分割された。しかし、連合軍の動きを警戒した枢軸国軍は、即座に境界線を越えて侵攻を開始した。11月11日、ヴィシー政権の休戦軍は、数時間のうちに「自由地域」全域を枢軸国が占領した。この進撃により、マルセイユやリヨン、本作戦の要衝であるトゥールーズの南部の主要都市が次々と占領された。軍港都市トゥーロンだけは、数日間だけ自由を保った。
1942年は、ディエップにおける手痛い敗北という最悪の状況から、北アフリカでの勝利、そしてフランス全土の完全占領という激動の展開を経て、連合軍が反転攻勢へと向かう歴史的な大転換期となった。












