キブンバ難民キャンプの道端にフツ族のルワンダ難民の死体が捨てられた。この後にトラックがきて、死体を積んで行って捨てられた。推定で約120万人のルワンダ難民が、自国での内戦勃発後に、ザイール共和国へ避難した。ザイール共和国のキブンバ難民キャンプはゴマから北へ40分ほど、ルワンダとの国境に近く、ルワンダ難民キャンプの廃墟の上に建てられた。約10kmほど離れたルガレや約40kmほど離れたトンゴから難民が集まった。ギブンバ難民キャンプは、難民自身によって運営され、国連やNGOが難民委員会と協定を結び、難民キャンプ内でサービスを提供した。
ルワンダ共和国にて、16世紀から少数部族のツチ族と多数部族のフツ族が対立した。1990年には、フツ族の政府軍とツチ族のルワンダ愛国戦線(RPF)で内戦が勃発した。1993年8月に停戦合意したが、1994年4月に、ハビヤリマナ大統領の搭乗機が撃墜されて、内戦が再発して激化した。内戦で発生した大量の難民が、ザイール、タンザニア、ウガンダに流入した。1994年7月にルワンダ新政権が樹立されて、特にザイール共和国のゴマとブカブ地区を中心に約140万人を超えるルワンダ難民が流入した。その結果、ゴマとブカブ地区の難民キャンプは、コレラ、赤痢等が伝染病が流行して、一時は1日に約2,000人近い多数の死者が発生して、悲惨な危機的状況に陥った。
約80万人を虐殺した側のフツ族側は、ルワンダで敗北したした事実を深く刻んだまま大量の難民が、コンゴ共和国に敗北の中に避難した。ルワンダ共和国内で政権を奪取した勝者のツチ族(RPF)は、殺害された側はフツ族を追及した。フツ族の殺人者たちを求めて深くコンゴ領内へと侵入した。敗者となったフツ族は、追われた祖国のルワンダへの帰還を信じて、コンゴ領内にできた難民キャンプからルワンダへの越境攻撃を仕掛けた。ルワンダ虐殺が1994年から1999年にかけてコンゴ戦争に変貌した。