2026年3月21日土曜日

二人の死んだ傭兵を前に、勝ち誇り悦に浸るシムバたちという描写は、それまで白人の兵士は無敵であると信じられていた神話が崩れた瞬間を象徴しています。

  二人の死んだ傭兵を前に、勝ち誇り悦に浸るシムバたちという描写は、それまで白人の兵士は無敵であると信じられていた神話が崩れた瞬間を象徴しています。シムバたちは呪術的な儀式によって自分たちは弾丸を通さないと信じており、敵の死体である特に恐れられていた白人傭兵の死体を晒し者にすることで、自らの正当性と力を誇示した。

 1960年代のコンゴ動乱(コンゴ危機)における凄惨な一場面を切り取った写真のキャプションです。冷戦下の地政学、アフリカの脱植民地化、そして「傭兵」という存在が持っていた狂気的な側面が凝縮されている。アルバートビル(現在のカレミ)への攻撃は、このシムバの反乱を鎮圧するために投入された傭兵部隊の初陣を指しています。

 コンゴ動乱とシムバの反乱は、1960年、ベルギーから独立した直後のコンゴ共和国(現コンゴ民主共和国)は、激しい内戦に突入し、コンゴ動乱が勃発した。1964年、東部でルムンバ主義(左派・反欧米)を掲げる武装勢力が蜂起した。彼らはスワヒリ語でライオンを意味する「シムバ(Simba)」と呼ばれ、急進的な反帝国主義を掲げてコンゴ東部の大部分を制圧しました。

 当時の傭兵の多くは、第二次世界大戦を経験した元兵士や、人種隔離政策下の南アフリカ、ローデシアから来た白人たちでした。彼らは「共産主義の浸透を防ぐ」という大義名分のもと、高額な報酬を目当てに戦場へ赴きました。しかし、彼らの実態は多分に無秩序で、現地住民への虐殺や略奪を繰り返すなど、極めて悪名高い存在でもありました。

  アルバートビルでの敗北と「歓喜するシムバ」は、前半にある「lakebourne attack(湖からの強襲)」は、タンガニーカ湖を渡ってアルバートビルを奪還しようとした作戦を指します。しかし、この初戦は傭兵側にとって悲惨な失敗に終わりました。

  キャプションの後半に登場する「ジークフリート・ミュラー」は、コンゴ動乱において最も象徴的かつ不気味な人物の一人です。彼は常に第二次世界大戦時の「鉄十字勲章」を胸に帯用し、ビールを飲みながら冷酷に戦況を語る姿がドキュメンタリー映画『アフリカのさらば(Africa Addio)』などで紹介され、世界中に衝撃を与えました。

「死んだ部下の墓を自ら掘り、装飾した」という記述からは、戦場における彼の奇妙な騎士道精神、あるいは死に対する耽美主義的な執着が読み取れます。彼は傭兵を単なる金目当ての集団ではなく、一種の「エリート戦士団」として演出しようとしましたが、その実態は凄惨な殺戮の連続でした。

「The Photo Source」「Agence Dalmas」といったクレジットは、この光景がメディアを通じて世界に配信されたことを示しています。コンゴ動乱は、戦場カメラマンが凄惨な死体や処刑の場面を至近距離で撮影し、それが週刊誌などを通じて西欧社会に娯楽半分、恐怖半分で消費された最初期の紛争でもありました。植民地支配が終わった直後のアフリカで、冷戦の代理戦争と、人種的な憎悪、そして「戦争のプロフェッショナル」を自称する傭兵たちの狂気が交錯した瞬間を切り取っています。アルバートビルの敗北から始まった彼らの物語は、その後コンゴ全土を血で洗う過酷な掃討戦へと発展していくことになります。