ベトナム戦争にて、1966年2月24日にタンビン付近のアメリカ軍第1騎兵師団陣地に対して、南ベトナム解放戦線のベトコンが夜襲した。その戦闘で戦死したベトコン兵士の死体をアメリカ軍の装甲兵員輸送車が引こずったて泥まみれの死体となった。連合軍が南ベトナムの首都サイゴンから北西56kmのタンビンの戦場に残存していたベトコンの死体であった。平然とアメリカ軍兵士が装甲歩兵院輸送車に搭乗して、死体を平然と見下して任務を遂行した。「泥まみれの死」として、沢田教一が装甲兵員輸送車で死体を引きずる写真を撮影して、第10回世界報道写真展報道写真部門1位を受託した。
タンビンにてスオイ・ボン・チャンの戦いの後に、アメリカ軍装甲車の後ろにベトコン兵士の死体をひこずって埋葬地に向かった。アメリカ軍とオーストラリア軍は1966年2月23日と24日の夜に、ベトコンと北ベトナム軍と戦った。この戦闘は、ビエンホア空軍基地の北西30kmに位置するタンビン近辺で勃発した。戦略道路を建設中の技術者を保護するための大規模なアメリカ軍警備作戦である「ローリングストーン作戦」の最中に発生した。2月24日朝に、ベトコンと北ベトナム軍は約500人の戦死により甚大な犠牲者を伴った。アメリカ軍は11人とオーストラリア軍は74人の死傷者の犠牲者を伴った。
ベトナム戦争が激化した1966年に、連合軍は南ベトナムでの足場を確保しようと、ベトコンとの戦いを続けた。ベトコンと北ベトナム軍はオーストラリア軍とアメリカ軍に撃退されて追い返された。死亡したベトコン兵士の死体を、恨みと勝利の誇示からか、アメリカ軍の装甲兵員輸送車の後部にくくりつけられ、戦車の後ろに引きずられた。戦争の事実を、戦争当事者ではない第三者機関が報道できた戦争がベトナム戦争であった。ジョン・F・ケネディ大統領が戦争の目的と意図を世界に知らしめた。