2024年6月24日月曜日

朝鮮戦争にて、アメリカ軍第3歩兵師団が保持する前哨基地ハリーに対して、1953年6月12日に中国人民義勇軍と朝鮮人民軍が攻撃した。アメリカ軍が殺害した共産党軍兵士の死体が基地周辺に散乱して、死後処置をした。

朝鮮戦争にて、アメリカ軍第3歩兵師団が保持する前哨基地ハリーに対して、1953年6月12日に中国人民義勇軍と朝鮮人民軍が攻撃した。基地を防御したアメリカ軍第3歩兵師団が、突撃する中国軍兵士を防御攻撃した。アメリカ軍が殺害した多数の共産党軍兵士の死体が基地周辺に散乱して、死後処置をした。

 朝鮮戦争にて1953年6月10日から18日に、前哨基地ハリーの戦いが勃発した。ハリーの戦いは、首都ソウルから北方に約96.6kmに鉄の三角地帯にある標高約387mの丘で勃発した。国連軍(UNC)部隊に対する中国軍の監視を阻止し、中国軍の直接砲撃から攻撃を防御した。

 中国軍の攻撃は6月10日午後6時から、強烈な砲撃で始まり、アメリカ軍防御隊を30対1で上回る約3,600人の突撃が続いた。中国軍は、アメリカ軍を釘付けにする自軍の砲撃をかいくぐって突撃するも、大規模な国連軍の砲撃を受けた。中国軍歩兵の一部は、アメリカ軍の塹壕線に侵入するも、アメリカ軍の壕を制圧できず、反撃されて撤退した。その後8日間は同様の突撃が繰り返された。中国軍は夜間に突撃して、昼間の国連軍の増援と補給活動が共産軍の砲撃と狙撃にさらされた。中国軍は6月11日から12日夜間に再び攻撃を仕掛け、大規模な砲撃の中で中国軍歩兵が侵入して壕に閉じこもるアメリカ軍守備隊を攻撃した。重砲と装甲の支援により、アメリカ軍は再び持ちこたえた。

 最も甚大な中国軍の攻撃は6月12日から13日夜に起こった。最初の攻撃が失敗すると、中国軍は再編成して、北、北東、北西から3方面の攻撃を開始した。アメリカ軍増援中隊は、東側面のアメリカ軍戦車大隊の陽動攻撃で持ちこたえた。6月14日から15日と6月18日の攻撃はいずれも失敗して、その後に中国軍は前哨基地ハリーの奪取を中止した。

 6月10日から8日間の戦闘で、中国軍は約4,200人の死傷者を出した。中国軍はアメリカの前哨基地に約88,000発の砲弾を撃ち込んだ。アメリカ軍の死傷者は死者183名、負傷者606名。他の丘の戦いと同様に、前哨基地ハリーをめぐる戦いは、両陣営が軍事的に十分な塹壕を築いた。