ラベル ロシア の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル ロシア の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2023年7月10日月曜日

日露戦争の遼陽会戦において、1904年9月1日午後2時27分に、首山堡の南方高地の塹壕陣地にて、日本軍は歩兵第三十四連隊の戦死者の死体の収容作業をした。

日露戦争の遼陽会戦において、1904年9月1日午後2時27分に、首山堡の南方高地の塹壕陣地にて、日本軍は歩兵第三十四連隊の戦死者の死体の収容作業をした。8月31日夜に、ロシア軍の塹壕内に大突撃をした。塹壕内には、戦死した日本軍兵士とロシア軍兵士の死体が散乱した。首山堡の攻略は、猛烈な犠牲を極めた。1904年8月30日未明、第二軍と第四軍は首山堡塁に対して攻撃を開始した。しかし、ロシア軍の強固な陣地に阻まれて苦戦し戦線は膠着した。8月31日には後に軍神の橘周太が壮絶な戦死を遂げた。戦況を打開するため、第一軍は8月30日夜からひそかに太子河の渡河を開始した。遼陽東方のロシア軍の側面に回り込めた。9月1日には 第二師団が饅頭山を、第十二師団が五頂山を占領した。

  側面に展開した第一軍に退路を危惧したロシア軍は、第二軍、第四軍と対峙した部隊を第二防御線へ撤退させた。その一部を遼陽東方へ投入した。苦戦した第二軍は、退却を始めたロシア軍を追撃しつつ、首山堡一帯を占領できた。今度は第一軍がロシア軍の猛攻を受けた。各方面共に戦線は膠着状態であった。ロシア軍は奉天方面での決戦に向けて9月4日にロシア軍は撤退を命令された。

 日本軍は約13万余の軍隊を集め、ロシア軍もまた約22万余の軍隊を有して、遼陽の戦いが勃発した。8月28日に総攻撃するも、とくに遼陽前面の首山堡の線ではロシア軍主力が第二、第四軍を迎え撃ちたれた。右翼の第一軍だけが侵攻を続け、最右翼の第十二師団は8月30日の夜中に、遼陽を通って遼河に流れる太子河の上流で渡河して、ロシア軍の背後をつく構えを示した。ロシア軍防衛線の中心である首山堡の陣地をできるだけ早く突破するように8月31日に第二軍に命令した。首山堡に突撃を敢行して9月1日に占領した。突撃を指揮して戦死した陸軍歩兵の橘周太は軍神に扱われた。遼陽の戦いで、134,500人の日本軍の死傷者は約23,500人、224,600人のロシア軍の死傷者も約20,000人とされた。




2023年7月9日日曜日

2023年6月16日ウクライナ南部ケルソン州のノヴァ・カホフカダム崩壊後、洪水が引いた後に、ロシア支配のケルソン地方のホラ・プリスタン町で、ボランティアと自治体職員は、浸水した家屋から死体を取り出した。

2023年6月16日、ウクライナ南部ケルソン州のノヴァ・カホフカ(Nova Kakhovka)ダム崩壊後、洪水が引いた後に、ロシア支配地域ケルソン地方のホラ・プリスタン町で、ボランティアと自治体職員は、浸水した家屋から死体を取り出した。6月6日、ウクライナ南部のケルソン地方のノヴァ・カホフカダムが決壊して、町が水没した。ロシアとウクライナは崩壊の原因を互いに非難している。ウクライナ当局ロシア占領下の南部の町の浸水は減少したが、瓦礫の下には遺体が残った。ロシア軍がドニプロ川の西岸で砲撃を続けているため、資源が不足している。

 ロシア軍が占領しているホラプリスタンの浸水した地域の破壊は壊滅的であり、瓦礫の下にはまだ死体が埋まっていたと、ウクライナ軍政部は、6月21日にテレグラムに投稿した。水位は徐々に下がっているが、ホラ・プリスタンの東部、中部、沿岸部は部分的に浸水したままである。浸水した町の家屋の破壊は壊滅的である。死者の死体は瓦礫の下に埋もれている。町の大部分ではガスも電気も供給されておらず、町の一部の下水道はまだ水没している。

 2023年6月6日未明に、ノヴァ・カホフカダムと水力発電所が崩壊した後に、水位が上昇を続けて、ケルソン地方の占領地域は壊滅的と公表した。住民は、救助もなく、水もなく、ただ浸水した集落の家の屋根の上にいるだけであった。人、動物が死んだ。浸水した家々の屋根からは、溺れた人々が浮かんでいるのが見える。向こう側にもそれが見える。ケルソン地方の占領地域から人々を脱出させるのは非常に難しい。6月7日から、ケルソンでの捜索・救助活動は本格化するも、発砲や着弾する大砲の音は継続していた。ケルソン地域全体で1,400人以上が避難し、ドニプロ川西岸の1,800戸以上の家屋が浸水した。

 ノヴァ・カホフカダムは重要なインフラであり、ザポリツィア原発を含むウクライナ南東部の大部分とクリミア半島に水を供給している。ウクライナ農業省は、1万ヘクタールの農地が氾濫して、ウクライナ南部の畑は砂漠化する見込みを公表した。6月6日午前3時頃に、ロシア軍はカホフカ水力発電所を爆破し、水位を上げてドニプロ川のアプローチと左岸、そこにある集落を氾濫させた。ウクライナ軍が今後反抗攻勢を困難にした。但し、ダムが故意に攻撃されたのか、それとも決壊が構造的な欠陥によるものなのかは不明のままである。衛星画像では、橋の一部が失われたのは6月1日から2日であった。










Warning: Volunteers and municipal workers grab the body from a flooded house in the town of Hola Prystan in the Kherson region, Russian-controlled territory, after flood waters receded following the collapse of the Nova Kakhovka dam, Ukraine on June 16, 2023. (Stringer/Anadolu Agency)

 

2023年7月2日日曜日

2023年6月19日に、ウクライナ軍の負傷兵が、ウクライナのドネスク州バクムト近郊の医療施設で応急手当を受けた。ウクライナ軍の医療関係者が、負傷したウクライナ軍兵に応急処置を施した。

2023年6月19日に、ウクライナ軍の負傷兵が、ウクライナのドネスク州バクムト近郊の医療施設で応急手当を受けた。ウクライナ・ドネスク州バクムト近郊の医療安定化地点で、ウクライナ軍の医療関係者が、負傷したウクライナ軍兵に応急処置を施した。ウクライナ軍の攻勢が前進し、ロシア軍が守勢に回る方向もあれば、逆にロシア軍が攻勢に転じ、ウクライナ軍が守勢に回る軸もある。一歩一歩、徐々に攻勢して、1メートル単位で戦線をかじっているとウクライナ国防副大臣が6月24日に報告した。 

 ウクライナの防空当局は、ロシア軍が2023年6月20日未明に発射した35機のシャヘド型爆発ドローンのうち32機を撃墜した。ロシア軍は夜間の無人機攻撃でウクライナの首都周辺地域を標的とし、攻撃は3時間ほど続いた。ウクライナの防空部隊が12機ほどを撃墜した。ロシア軍は、ウクライナの南部ザポリツィア地方を弾道ミサイルで攻撃した。ウクライナの前線後方での最近の空爆は、ウクライナの攻勢の初期段階と重なった。

 ウクライナ軍によると、ウクライナ東部のバフムート、ライマン、アヴディフカ、マリンカ周辺で激しい戦闘が起きている。ロシア軍は東部ドネツク地方の15の都市と村落を砲撃し、バフムート近郊のチャシフ・ヤールの3人を含む5人の市民を負傷させた。ロシア軍の焦点は依然としてウクライナの東部戦線にある。ロシア軍は、過去1日間に500回以上にウクライナ軍陣地を砲撃したと、ウクライナ軍参謀本部は報告した。ロシア軍はこの1週間で5,800回以上の攻撃を行い、277,000発以上の弾薬を使用した。ロシア軍国防省は、ウクライナ軍の南部戦線のピアティハツキへの反抗を撃退して、十数台の戦車、装甲車、ウクライナ軍兵士が犠牲となったと6月18日に報告した。















Warning: A Ukrainian wounded souldier gets the first aid at medical stabilisation point near Bakmut, Donesk region, Ukraine, June 19,2023 (AP Photo/ Libkos) 

2023年6月27日火曜日

第一次世界大戦の東部戦線にて、1914年にドイツ人移民の農民がウクライナ北西端のヴォルヒニアで、戦死したロシア軍兵士の死体を埋葬した。ロシア軍兵士は装備が貧弱で、損害を被った後に、大量に降伏した。

第一次世界大戦の東部戦線にて、1914年にドイツ人移民の農民がヴォルヒニア(Volhynia, Wolhynien)の近郊で、戦死して殺害されたロシア軍兵士の死体を埋葬させられた。ロシア軍兵士は戦闘装備が貧弱であり、多くの損害を被った後に、しばしば大量に降伏した。ヴォルヒニアは、ウクライナの北西端、首都キエフの西、ボーランドとは西、ベラルーシは北で国境に接した。

 第一次世界大戦まで、約25万人のドイツ人移民が、現在のウクライナの北西部に位置するヴォルヒニア(Wolhynien)地域の約300の集落に住んでいた。現在のウクライナ北西部に位置するヴォルヒニア地域が、ドイツ人移民の居住地となったのは、19世紀後半からである。ドイツ人移民はの多くは1861年以降に、職人、農民、商人としてヴォルヒニア地域に移民した。彼らはロシア系ドイツ人の中で唯一、ツァーリ時代と後のスターリン時代に二度も、国外追放された。彼らはまた、第一次世界大戦期に、ドイツ人移民の領土だけが、ポーランドに属する西ヴォルヒニアとソビエトに属する東ヴォルヒニアに分割された。この分割は、ヴォルヒニアのドイツ人移民に広範囲に及ぶ犠牲をもたらした。

 第一次世界大戦の東部戦線は、西部戦線と同様に血なまぐさいものであった。塹壕戦は存在したが、戦線全体に沿って連続した塹壕線は存在しなかった。西部戦線とは異なり、数百kmに及ぶ大規模な攻撃が行われたが、長期に小康状態もあった。数千人が戦死した数日間にわたる大規模な砲撃はほとんどなかった。野戦での戦闘で、膨大な数の戦死傷者が発生した。民間人は西部よりも東部ではるかに多くの被害を受けた。ポーランド、ガリシア、ルーマニア、バルト三国では数百万人の民間人が、移り変わる東部戦線の戦場に巻き込まれた。民間人は、避難中に苦しみ、命を落とした多数の避難民を生み出した。

 1914年8月から9月にかけての東プロイセン、1915年1月から2月にかけての北西戦線、1915年5月から8月にかけての大撤退の際に、多くのロシア軍兵士が絶望的な状況で戦死症したり、捕虜になった。1914年から1917年にかけて、ロシア軍兵士の捕虜なった総損失は、1917年6月に約2,044,000人と推定した。ロシア軍兵士は、ドイツ軍に約1,400,000人、オーストリア=ハンガリー軍に約200,000人、トルコ軍とブルガリア軍に約200,0000人が捕虜になった。ロシア人捕虜は、他の連合軍に比して主に食糧で最も厳しかった。捕虜の平均労働時間は1日12時間だった。捕虜は肉体的・精神的拷問を受け、思想的洗脳も試みられた。




2023年6月25日日曜日

2023年6月17日に、ウクライナ軍が奪還したウクライナ東部ドネツク州のブラホダトネ村で、ウクライナ軍兵士が、殺害されたロシア軍兵士の死体を偵察した。ブラホダトネ村は、反攻作戦で解放された最初の村である。

2023年6月17日に、ウクライナ軍が奪還したウクライナ東部ドネツク州のブラホダトネ(Blahodatne)村で、ウクライナ軍兵士が、殺害されたロシア軍兵士の死体を偵察した。ブラホダトネ村は、侵攻するロシア軍に対するウクライナ軍の反攻作戦の一環として解放された最初の村の一つである。ブラホダトネ村は、ドネツク州とザポリージャ州の境界に位置した。厳しい戦闘にて弾痕だらけのブラホダトネ村の文化の家の図書館に、ロシア軍兵士の死体が散乱した。ウクライナ軍によると、ブラホダトネ村に残っている民間人は2人だけであった。











Warning: A Ukrainian commander, aka Lermontov, of the 68th Oleksa Dovbush hunting brigade, walks past the body of a killed Russian soldier in the recently retaken village of Blahodatne, Ukraine, Saturday, June 17, 2023. (AP Photo/Evgeniy Maloletka)

 

  ウクライナ国防副大臣が、ウクライナ軍は、ザポリージャ地域のベルディアンスク方面とメリトポリ方面での反抗作戦により、ノヴォダリフカ(Novodarivka)、レヴァドネ(Levadne)、ストロジェヴェ(Storozheve)、マカリヴカ(Makarivka)、ブラホダトネ(Blahodatne)、ロブコヴェ(Lobkove)、ネスクチネ(Neskuchne)、さらにザポリア州南東部のピアティハツキー(Piatykhatky)を含めて8つの集落が解放されたと述べた。ウクライナ軍は約7km侵攻し、約113平方kmの地域を奪還した。反攻作戦では、ウクライナ軍兵士に占領された集落では、ウクライナ軍兵士たちは侵攻を続けて、退却しないように命令された。集落の道路はクレーターで穴が開き、建物は陥没して、ほぼすべての住居には弾痕が散見された。

 2023年6月17日に、ウクライナ東部のドネツク州のブラホダトネ村を奪還したばかりのウクライナ軍兵士が、破損した建物内で死亡したロシア軍兵士の死体の横を通り過ぎた。ロシア軍は2022年2月にウクライナに侵攻し、破壊と人道危機を引き起こした。ロシア軍とウクライナ軍は、ウクライナ軍が反攻の初期段階で、占領地域からロシア軍を追い出すために戦って、多数の軍事的死傷者を出した。ロシア軍は、ウクライナ軍の反抗作戦は6月5日に勃発したと主張した。最も激しい戦闘は、ウクライナ南東部のザポリツィア州、バフムト周辺、さらに西のウクライナ東部ドネツク州が中心となった。ウクライナ軍の前進を阻止するロシア軍側による無人機や砲撃など激しい攻撃に直面した。











Warning: A Ukrainian serviceman, aka Boroda, of the 68th Oleksa Dovbush hunting brigade, walks past the body of a killed Russian soldier in the recently retaken village of Blahodatne, Ukraine, Saturday, June 17, 2023. (AP Photo/Evgeniy Maloletka)

2023年6月18日日曜日

ウクライナ軍が解放したドネツク州ネスクチノエ村で、2023年6月13日にウクライナ軍に殺害されて死亡したロシア軍兵士の死体の側をウクライナ軍兵士が歩いた。村の路上にはロシア兵が死体が横たわった。

ウクライナ軍の反撃で解放したドネツク州のネスクチノエ村で、2023年6月13日にウクライナ軍に殺害されて死亡したロシア軍兵士の死体の側をウクライナ軍の戦闘員が歩いた。ネスクチノエ村の路上にはロシア兵が死体が横たわった。

 2023年6月10日に、ウクライナ軍がドネツク州のネスクチノエ(Neskuchnoye)村を激しい戦闘で解放したと6月11日に報道された。6月15日に、ウクライナ軍は東部および南部方面の領土を徐々に解放していると公表した。6月4日からウクライナ軍の反撃が始まった。モクリ・ヤリ川の周辺にある集落の一つであるネスクチノエ村の住民は一人も発見されなかった。反撃作戦開始して以来、ウクライナ軍がロシア軍の占領地に南進して奪還したと発表した。ロシアが侵攻する前は、数百人の住民が住む村の建物のほとんどが被害を受けた。



Warning: A fighter of the Armed Forces of Ukraine walks past the body of a dead Russian soldier in Neskuchnoye (Oleksandr Ratushniak/Reuters/Scanpix/LETA)


 吹き飛ばされたロシア軍兵士の死体が、放棄されたロシア軍車両の隣に放置された。少なくとも3人のロシア軍兵士の死体が、路上に横たわった。州都ドネツク市の南西約90kmに位置するネスクチノエ村で、ウクライナ軍の侵攻が確認された。ネスクチノエ村は、2014年にも一時的にロシア軍に占領された。ロシア軍の支援を受けた戦闘員がドネツク州と隣接するルハンスク州の広大な土地を占拠した。その後に、ネスクチノエ村はウクライナに戻ったが、2022年2月24日の侵攻直後にロシア軍に占領された。



Warning: The body of a Russian soldier who was blown up lies next to an abandoned Russian military vehicle (REUTERS/Oleksandr Ratushniak)


 ウクライナ軍当局は、攻勢の直前ははほとんど情報を提供しなかった。6月12日時点で、7つの集落を奪還したと発表した。ロブコヴェ(Lobkove)、レヴァドネ(Levadne)、ノボダリフカ(Novodarivka)、ネスクチノエ(Neskuchnoye)、ストロジェヴェ(Storozheve)、マカリフカ(Makarivka)、ブラホダトネ(Blahodatne)村が解放されたと述べた。ウクライナ軍は最大約6.5km前進して、南部の前線100kmに沿った90平方kmの土地を奪取したと公表した。ロシア軍とウクライナ軍は、ウクライナ東部と南東部のドネツク州とザポリージャ州の国境沿いで激しい衝突が発生して、反撃の一環として一連の村を奪還した。

2023年6月12日月曜日

1920年頃にロシア極東において、日本軍兵士によって処刑されたロシア人鉄道員の死体の後方に自慢気に立って記念写真を撮影した。シベリア鉄道の一部、沿海州とアムール地方の大部分は日本軍の支配下に置かれた。

1920年頃にロシア極東において、日本軍兵士によって処刑されたロシア人鉄道員の死体の後方に自慢気に立って記念写真を撮影した。あるアメリカ軍将校は、1919年7月にシベリアのスヴィヤギノ鉄道駅で、日本軍兵士がロシア人に対して懲罰的虐殺を目撃した。約5人のロシア人が鉄道駅周辺に掘られた墓に案内された。ロシア人は、目隠しをされ、手を後ろに縛られて墓の端にひざまずくように命じられた。上着を脱いでサーベルを抜いた2人の日本軍将校が、ロシア人犠牲者の首の後ろを打ちながら切り始めて、犠牲者がそれぞれ墓に落ちた。約3~5人の日本軍兵が悲鳴を上げながら銃剣で、ロシア人仕留めて殺害した。2人はサーベルの一撃ですぐに首を切られ即死したが、他のロシア人はまだ生存して、投げ入れた土が動いていた。

 1918年3月3日に、ソ連とドイツがブレスト・リトフスク条約に調印した直後から、連合軍部隊はロシアの北、南、東の港に上陸し始めた。1918年4月5日、ウラジオストクの港に最初の日本軍兵士が上陸して、港と中心部を制圧した。前日の4月4日に市内で起きた2人の日本民間人の殺害事件に端を発した。1918年10月までに、ロシア極東における日本軍兵士は約72,000人を超えた。シベリア鉄道の一部、沿海州とアムール地方の大部分は日本軍の支配下に置かれた。内戦をロシアが完全に疲弊するまで長引かせ、ロシアから搾取した。1920年初頭に、ロシアに駐留する日本軍兵士数は10万人を超えた。1919年夏から秋に、白軍が敗北して地盤沈下して、1922年10月25日に最後の日本軍兵士がウラジオストクから去った。

 日本軍兵士は、他の介入軍と違って、ロシア極東の赤軍パルチザンとの衝突に積極的に介入した。赤軍はアメリカ軍とは暗黙の不可侵条約を結んだ。日本軍とは激しい血みどろの戦いを繰り広げて、双方で数十人から数百人の命が奪われた。介入期間中に日本帝国陸軍が失った兵士と将校は約3,000人に上ると推定された。村全体が焼き払われ、見せしめの処刑が行われた。




2023年6月11日日曜日

ワグネル民間軍事会社代表のプリゴジンは、2023年5月5日にテレグラムで、地面に横たわる血まみれのロシア人傭兵の約30体の死体の前に立って、ロシア軍に弾薬を要求した。

ワグネル民間軍事会社の代表のエフゲニー・プリゴジンは、2023年5月5日のテレグラムに非公開される場所で、ワグネル民間軍事会社の戦闘員の死体の前に立って叫んだ。戦場の最前線と思われる屋外でプリゴジンは小さな懐中電灯を照らしながら、悲惨な動画で弾薬不足に怒り、5月10日にバクムトからの撤退を誓った。プリゴジンは、地面に横たわる血まみれの軍服姿のロシア人傭兵である約30体の死体の前に立って、ロシア軍に弾薬を要求した。この約30体の死体は、5月5日までの1日間にバフムトの戦闘で殺害された。プリゴジンは、「ここにいるのは、本日殺害されたワグネルの傭兵たちである。血はまだ新鮮だ。全員を撮影しろ!」と叫んだ。

 ロシアの傭兵グループのワグネルの創設者であるプリゴジンは、バフムト攻略のための血なまぐさい戦いの先頭に立つ民間軍事会社が、5月10日からウクライナの都市バフムトから撤退することを発表した。弾薬不足を憤慨しながら、ワグナー戦闘員の死体を示した悲惨なビデオを公開して、そのわずか数時間後に撤退を公表した。ビデオ映像の中で、セルゲイ・ショイグ国防相とヴァレリー・ゲラシモフ参謀総長を罵倒した。この死体は誰かの父親であり、誰かの息子なんだと、プリゴジンは死体を指差しながら、ワグネルに弾薬をくれない野郎どもは、地獄で腹の肉を食ってやる!と罵倒した。プリゴジンは、第二次世界大戦でロシアがナチス・ドイツに勝利を祝う5月9日の翌日に、バフムトからの撤退を示唆した。

 プリゴジンは軍服に身を包み、重武装した数十人のワグナー部隊の兵士に囲まれながら、ワグネルの勝利を妨げているとロシア軍と隣接する官僚たちを非難した。ロシアの参謀本部長と司令官に対して公式に宣言した。私のワグネルの部下は、弾薬を持たずにバクムトで無意味で不当な犠牲を出すことはしない。戦勝記念日の祝日の5月9日まで任務を遂行して、5月10日からワグネルはバクムートの戦場を離れると主張した。












Warning: Prigozhin forces stood in front of bodies he presented as fallen Wagner mercenary group fighters at an undisclosed location in this image taken from video and posted to Prigozhin’s Telegram channel. 

2023年6月4日日曜日

ロシア軍が2023年6月1日未明に、ウクライナの首都キエフにミサイルを発射した。デスニャンスキー地区では、9歳の子供とその34歳の母親と33歳の女性を含む約3人が死亡した。

2023年6月1日午前3時頃のミサイル爆発の一つは、ミサイルの破片が緑豊かなウクライナ首都キエフのデスニャンスキー地区のアパートを裂いた。朝の光の中で、救急隊員が高齢の女性をそっと建物から遠ざけた。木々の間のロープで囲まれた場所では、攻撃で死亡した女性の裸足がビニールシートの下から突き出た。キエフのミサイル攻撃の爆発で殺害されて死亡した9歳の孫娘と34歳の娘の死体に面会して、高齢女性は慟哭して涙した。施錠されて閉鎖された防空壕に入ろうとしていた子供とその母親、もう一人の33歳の女性が死亡したと述べた。













Warning:  An elderly woman cries over the bodies of her daughter and daughter and , killed as a result of a downed missile strike on Kyiv.Sergei (Supinsky / AFP)


 施錠された防空壕の前で、ヤロスラフ・リアブチュク(Yaroslav Riabchuk)は、17年間に連れ添った33歳の妻のナタリア(Natalia)と外にいた。他の人たちと一緒に鍵のかかった防空壕に入るのを待っていた33歳の妻が、落ちてくるミサイルの破片に爆撃されて死亡したと彼女の夫のリアブチュクが語った。担当の警備員を呼び出すのに建物の裏側に回り込んだ。「私は走った時に爆発が起こった。粉々になったガラスが降って、逃げ避難して戻ったときには、女性や子供たちが流血した。」とリアブチュクは言った。キエフ警察当局は、防空壕の施錠の事実に基づきキエフ市国家管理局を、ウクライナ刑法367条-重大な結果を引き起こした公務上の過失-に基づき、刑事手続きを開始した。

 ロシア軍が2023年6月1日未明に、ウクライナの首都キエフに向けてミサイルを発射した。デスニャンスキー地区では、9歳の子供とその母親を含む約3人が死亡した。アパートや学校、小児病院が損害を受けた。1カ月間で、キエフに対する1回の攻撃で最も多くの犠牲者が出た。ロシア軍の攻撃は、短距離の地上発射型ミサイルであるイスカンダルを使用した。ウクライナ防空軍は10発のミサイルをすべて撃ち落とすも、落下したミサイルの破片が被害をもたらし、16人が負傷した。

 国連のウクライナ人権監視団によると、2022年2月24日以降、少なくとも約525人の子どもが死亡し、少なくとも約1,047人が負傷した。2023年5月だけでも6人の子どもが殺され、34人が負傷した。ウクライナ国防省は、戦争による子どもの犠牲者は、少なくとも484人が死亡し、992人が負傷したと公表した。キエフのデスニャンスキー地区では、瓦礫が小児科病院と近くの多層ビルに落下した。2つの学校と警察署が被害を受けた。他の地域では、窓が吹き飛んだ。ウクライナ全土で、6月1日に合計約7人の市民が死亡して、約27人が負傷したと大統領府が発表した。








Warning: A man mourns over the body of his granddaughter killed during a Russian missile attack, next to a damaged clinic on June 1, 2023 in Kyiv, Ukraine.  (Photo by Roman Pilipey)



2023年5月28日日曜日

ウクライナ軍の第24機械化旅団の兵士が、2023年3月7日にウクライナのトレツク近郊で、ロシア軍が包囲したバフムトを切り崩した。ウクライナ軍に殺害されたロシア分離主義者の戦闘員の死体の直前を移動した。

ウクライナ軍の第24機械化旅団の兵士が、2023年3月7日にウクライナのトレツク近郊で、ロシア軍が包囲したバフムトを切り崩そうとした。ウクライナ軍に殺害されたロシア分離主義者の戦闘員の死体の直前を移動した。ウクライナ軍によると、ロシアの傭兵集団ワグナーには、刑務所から徴収した戦闘員が、バフムト攻撃の損失によって不足して、ウクライナ軍も大きな犠牲を出した。ロシアのワーグナー傭兵部隊は、ウクライナ侵攻で最も長く継続したバフムトの戦いで数千人単位で戦死した。枯渇した傭兵の在庫を補うために、バクムトでは新人の傭兵をさらに送り込んだ。













 



Warning: A soldier from the 24th Ukrainian Mechanized Brigade walks past the body of a Russian separatist fighter killed in action as Russian forces try to cut off the besieged town of Bakhmut near Toretsk, Ukraine, on Tuesday. (Tyler Hicks)

ウクライナ軍は、ウクライナ東部の都市で受けた大きな損失にもかかわらず、ワグナーの自殺攻撃に近い囚人の傭兵へ攻撃をした。ロシア軍とウクライナ軍の間で数ヶ月にわたる激しいバフムトの戦闘により、ワグナーの傭兵の数千人の兵士が戦死して、街が廃墟となった。ウクライナ軍によると、ワグナー傭兵部隊の約5万人のうち約3万人近くが脱走あるいは戦死傷して、その大多数はバクムト周辺で戦死傷した。ロシア軍もウクライナ軍も、バフムト地域での戦死傷者数を発表しない。ロシア国防相は、ウクライナ軍は2023年2月には約11,000人以上の兵力を失ったと述べた。

 バフムトの戦いが決定的局面を迎えても、両陣営は戦略的重要性の低い小さな町バフムトでの驚異的な損失を、自軍の大義と提示して、正当化した。敵の疲弊こそ、犠牲を払う価値があると両軍は主張した。ワーグナーの傭兵は、主に元囚人をウクライナに投入して、多大な犠牲を払って、ウクライナ軍を消耗させて、ロシア軍のバクムト包囲網の侵攻を手助けして、バフムトは、ほとんどすべてが破壊された。













A screen showing footage of the Ukrainian army from a drone in Bakhmut in January, 2023. (Nicole Tang)

プリゴジン自身が警鐘を鳴らし、3月6日にウクライナの反撃に対抗する緊急増援と弾薬をロシア軍に要求した。アメリカ情報当局は2022年12月に、ワグナーはロシアの治安部隊の退役軍人を中心に集められた約1万人の職業軍人と4万人の元受刑者で構成されたと推定した。囚人たちはわずか2週間の訓練で戦闘に投入されて、主に小規模で無防備な集団で、ウクライナ軍の陣地を攻撃し、暴露して攻撃波のための塹壕を掘るのに使用された。ワグナーとの6ヶ月の契約を終えて帰国した投獄中の新兵のうち、例えばロシアのイワノボ地方にあるコロニーから到着した約170人ほどの囚人のうち、約80人が大きな負傷をせずに帰国した。バクムトにおけるワグナーの主な目的は領土の征服ではなく、約960kmの前線の他の戦場で戦いができる経験豊富なウクライナ人部隊を枯渇させることであった。

2023年5月21日日曜日

2023年5月11日に、ウクライナ・ドネツク州の激戦地であるバフムト付近の道路で、バフムトの戦いで戦死傷したウクライナ軍兵士に応急処置を施した。軍医らが死亡したウクライナ軍兵士の死体をビニール袋に入れて、車に載せて死後処理した。

 2023年5月11日に、ウクライナ・ドネツク州の激戦地であるバフムト付近の道路で、バフムトの戦いで戦死傷したウクライナ軍兵士に応急処置を施した。バフムト近郊の道路では、軍医らが死亡したウクライナ軍兵士の死体をビニール袋に入れて、車に載せて死後処理した。








 



         Warning: Military medics give first aid to wounded soldiers on the road near Bakhmut, Donetsk region, Ukraine, Thursday, May 11, 2023. (AP Photo/Boghdan Kutiepov)

ウクライナ軍は2023年5月12日に、戦争で最も長く血生臭い戦いの戦場となったウクライナ東部の都市バフムトで、ロシア軍から領土の一部を奪還したと発表した。ウクライナ軍は、バフムト南部で奪還した約2kmの領土は、補給路として確保した。一方、ロシア国防省は、ウクライナ軍はバフムト地域北側で攻撃を強めて、突破口を開いた憶測を否定した。ウクライナのゼレンスキー大統領は、5月12日に最高司令官と会談して、ウクライナ軍はロシア軍の侵攻を阻止して、いくつかの方面でロシア軍を押し返したと指摘した。

 アメリカの国家安全保障会議は、バフムトが依然と紛争地域であると評価した。ウクライナ軍はバフムト防衛を、ロシア軍はバフムト占領を諦めないと述べた。毎日毎日、戦線が前後して、時には地域ごとに変貌した。アメリカは、バフムトの戦略的価値は限定的と主張した。ロシア軍は、約8ヶ月間も続けた旧塩鉱山のバフムト町での戦闘で、兵員と兵器の膨大な損失を招いた。

 ロシアの民間軍事請負会社ワグナーの支配人のエフゲニー・プリゴジンは、5月12日のビデオ生命で、バフムト周辺の地盤を失って、ロシア軍は事実上逃げ出し、戦線の側面は崩れたと述べた。ウクライナ軍は、都市周辺の重要な高台を奪還し、バフムトへの重要な補給路を事実上封鎖した。プリゴジンは、ワグネルに十分な弾薬を提供しないロシア軍指導部を再び非難した。国防省の報道官は、プリゴジンの放棄の主張を明らかに否定した。ロシア国防省によると、バフムト市南部の攻撃に続き、5月12日にはソレダル市付近でウクライナ軍の攻撃行動が増加して、ロシア軍は、1,000人以上のウクライナ軍の攻撃を撃退したと述べた。

 ウクライナ軍は、バクムトでの戦闘と侵攻は進行中を示した。ウクライナ軍のバフムトの領土獲得は、シバースキー・ドネツ運河の近く、イヴァニフスケ村とクルディウミフカ村の間で奪還した。運河沿いのコスティアンティニフカ方面への攻撃に使うロシア軍の橋頭堡で、運河の反対側に追いやる必要があった。コスティアンティニフカは、クラマトルスク市につながる重要な物流チェーンの一部である。

 バフムトの争奪戦は、戦略的重要性が低いにもかかわらず、双方にとって犠牲を伴うものとなった。ウクライナ軍は同市に駐留して、ロシア軍は北、東、南から攻撃した。ウクライナ大統領府は、5月12日以降、他の戦闘で少なくとも約2人が死亡し、約22人が負傷した。ロシア軍の攻撃は、ウクライナ軍部隊の拠点があるクラマトルスクを襲い、学校と住宅が破壊された。ロシアの砲撃は同地域の約11の都市と村を襲い、約12人の市民が死亡した。











Warning: Military medics load bodies of the killed Ukrainian soldiers in plastic bags on a car on the road near Bakhmut, Donetsk region, Ukraine, Thursday, May 11, 2023. (AP Photo/Boghdan Kutiepov)

2023年5月19日金曜日

1905年10月に、ウクライナのオデッサで勃発したポグロムで、ロシア人との武力衝突で虐殺されたユダヤ人労働者同盟のブンドの仲間の死体を、ユダヤ人同盟が取り囲んだ。

1905年10月に、ウクライナのオデッサで勃発したポグロムで、虐殺されたユダヤ人労働者同盟のブンド(Bund)の仲間の死体を、ユダヤ人同盟のメンバーが取り囲んだ。10月16日から、学生、若者、ユダヤ人労働者はオデッサで街を歩き回り、バリケードを築き、警察や軍と戦闘になった。1905年10月、ニコライニ世が十月宣言を発表した後に、ユダヤ人排斥のポグロムがオデッサ居住区を席巻した。10月18日から武装したデモによる反政府運動が勃発して、ユダヤ人とロシア人の武力衝突によるポグロムに及んだ。ポグロミストは、無防備なユダヤ人を残忍かつ無差別に殴り、切り刻み、殺害した。

 ユダヤ人労働者総同盟(General Jewish Labor Union) は、帝政ロシア時代の1897年に、リトアニアの首都ヴィリニュスで結成された、ロシア支配地域におけるユダヤ系住民の社会主義(社会民主主義)団体であり、同盟を意味するブンドの略称で知られる。当初は、リトアニアとベラルーシのユダヤ人を組織した。1898年にロシア社会民主労働党の結成に貢献して、1905年には約35,000人に達した。レーニンやスターリンからは民族自決を否定する文化的民族自治論から厳しく批判された。1905年1月9日には、ロシア帝国の首都サンクトペテルブルクで血の日曜日事件により、第一ロシア革命が勃発した。混乱を収束するために、10月17日に専制から立憲制に十月宣言をするも事態は屈辱化した。

 1821年から1905年にかけて、ロシア帝国に属したウクライナのオデッサ市で、ユダヤ人に対する一連のポグロムが発生した。ポグロムは、民族的または宗教的集団、特にユダヤ人を虐殺や追放する暴力的な暴動である。特に1905年のポグロムは、規模も著しく大きく、反ユダヤ主義が中心になり、オデッサ史上最悪の反ユダヤ人ポグロムであった。1905年10月18日から22日に、ロシア人、ウクライナ人、ギリシャ人の民族が、約400人以上のユダヤ人を殺害し、約1600以上のユダヤ人の財産を破損・破壊した。10月17日に皇帝ニコライ2世は、ロシア国民の市民的自由を確立し、選挙による議会の創設を約束する十月宣言を発表した。10月18日に、ユダヤ人のグループが数人のロシア人労働者に赤い旗に敬意を払う命令をして、路上で喧嘩が起こり、反ユダヤ暴動に発展した。10月のポグロムで殺害されたユダヤ人は、約302人から約1,000人と推定された。





2023年5月7日日曜日

ウクライナ軍兵士は、2023年1月12日にハリキウ州のクリリブカ近郊にて2022年9月下旬の戦場で、凍った泥のプールから砲撃により殺害されたロシア軍兵士の死体を回収した。

ウクライナ軍兵士の死体回収チームは、2023年1月12日にハリキウ州のクリリブカ(Kurylivka)近郊の2022年9月下旬の戦場で、凍った泥のプールから殺害されたロシア軍兵士の死体を回収した。ロシア軍兵士の死体は、2022年9月下旬の戦場でウクライナ軍により破壊されたロシア軍の装甲車の近くで発見された。ウクライナ軍の死体回収チームは、砲撃のために殺害された死体の8体のうち3体を回収できた。ロシア軍がハリキウ州から撤退した後には、ロシア軍が破棄して捨て去った死体や戦車が散乱した。

 ハリキウ州のクリリブカでは、2022年9月25日に、ウクライナ北東部のロシア領内での戦闘から逃れようとした約31人を乗せた車両が襲撃され、7人が死亡した。イギリスは2023年9月期に、ロシア軍の戦死者数は約2万5000人以上、捕虜や負傷者を含める戦死傷者数は、約8万人に上ると推定した。ロシアの国防相は2023年9月期に、約5,937人のロシア軍兵士が戦死したと発表した。ノルウェー軍は2023年1月22日に、ロシア軍は約18万人の死傷者を出し、ウクライナ軍兵士の戦傷者は約10万人、民間人は犠牲者約3万人であると推定した。アメリカ軍も、ロシア軍の死傷者は10万人を超えて、ウクライナ軍も同程度の死傷者が出たと推定した。ロシア軍もウクライナ軍も、数ヶ月間、信頼できる犠牲者数の公表していない。

 2022年9月12日にロシア軍は、ハルキウ市近郊で占領した地域の大部分を明け渡して撤退した。9月13日に、ハルキウ州から撤退した初期段階で、ロシア軍部隊は甚大な犠牲を出し、ウクライナ軍の反撃を前に完全に再編成できなかった。プーチン大統領は、9月21日に職業軍人だけでなく、予備役などのロシア国民を部分的に約30万人以上も動員する大統領令に署名した。ロシアは9月23日から9月26日に併合するためにウクライナ南部と東部の4州の住民投票を強行した。9月30日にロシア議会の決議を経て、併合の手続きが強行されて、4州は併合条約に署名した。


















Warning: Ukrainian servicemen recover the remains of Russian soldiers from frozen pools of mud on the frontline on January 12, 2023 in Kurylivka, Ukraine. The bodies were discovered near a destroyed Russian armoured vehicle in late September 2022. The recovery team was able to retrieve 3 of the 8 bodies due to artillery shelling. (CNBC, The Atlantic, Photo by Pierre Crom/Getty Images)

2023年5月2日火曜日

第一次世界大戦の東部戦線の戦場で、1915年9月に急遽に掘られた塹壕の中に、殺害されたロシア軍と中央同盟軍の敵味方の多数の兵士の死体が積み上げて並んでいた。

 第一次世界大戦の東部戦線の戦場で、急遽に掘られた塹壕の中に、殺害されたロシア軍と中央同盟軍の敵味方の兵士の死体が積み上げて並んでいた。現在のベラルーシのザベレジーノ(Zaberezino)にて、1915年9月7日に塹壕の死体を集団埋葬して葬式した。

帝政ロシア軍は、1915年7月13日から中央同盟軍の攻撃を受けて、第一次世界大戦の東部戦線で戦略的にポーランドより8月1日から大撤退と避難した。ロシア帝国軍は、ガリシアとヴィスワ・ランドの突出部を放棄した。ロシア帝国の非常に装備が不十分な軍隊は、中央同盟国軍による1915年7月から9月にかけて、夏の攻勢作戦で大きな損失を被った。帝政ロシア軍は東部戦線の前線を短縮して、ドイツ軍による潜在的な包囲網を回避するために8月1日に大撤退を命じられた。突出部にある大規模なロシア軍は、撤退自体は展開されたが、ロシア軍の士気に対する深刻な打撃となった。

 中央同盟軍は夏の攻勢の間、ロシア帝国軍に非常に大きな犠牲者を出して、約45日間で約1,006,000人に上った。平均1日あたりの死傷者数は、約22,300人にも及んだ。ノヴォゲオルギエフスク要塞の陥落と、多数の駐屯地のドイツ軍によるロシア軍兵士の捕獲に影響を与えた。中央同盟国の軍隊は、1915年5月から6月には約535,300人から、7 月から8月には約348,000人の犠牲者に及んだ。ゴルリス作戦で中央同盟軍の最も深刻な犠牲者数は、オーストリア=ハンガリー軍の犠牲者数で、ドイツ軍の約2.5倍に及んだ。ドイツ軍の大参謀本部には、多数の死傷者数が発生して、帝政ロシア軍に対する攻撃を否定して、防御に切り替える要因になった。

 帝政ロシア軍側に、犠牲者の規模は、軍事作戦に大きな影響を与え、攻撃への移行でなく、長期の戦闘も放棄するに至った。特に苦痛だったのは捕虜数の増加であった。中央同盟国軍は、7月中旬から9月1日までに約511,679人の帝政ロシア軍兵士の捕虜数を発表した。第一次世界大戦の東部戦線の戦場で、急遽に掘られた塹壕の中に、殺害されたロシア軍と中央同盟軍の敵味方の兵士の死体が並んでいた。現在のベラルーシのザベレジーノ(Zaberezino)にて、1915年9月7日に塹壕の死体を集団埋葬して葬式した。

帝政ロシア軍は、1915年7月13日から中央同盟軍の攻撃を受けて、第一次世界大戦の東部戦線で戦略的にポーランドより8月1日から大撤退と避難した。ロシア帝国軍は、ガリシアとヴィスワ・ランドの突出部を放棄した。ロシア帝国の非常に装備が不十分な軍隊は、中央同盟国軍による1915年7月から9月にかけて、夏の攻勢作戦で大きな損失を被った。帝政ロシア軍は東部戦線の前線を短縮して、ドイツ軍による潜在的な包囲網を回避するために8月1日に大撤退を命じられた。突出部にある大規模なロシア軍は、撤退自体は展開されたが、ロシア軍の士気に対する深刻な打撃となった。

 中央同盟軍は夏の攻勢の間、ロシア帝国軍に非常に大きな犠牲者を出して、約45日間で約1,006,000人に上った。平均1日あたりの死傷者数は、約22,300人にも及んだ。ノヴォゲオルギエフスク要塞の陥落と、多数の駐屯地のドイツ軍によるロシア軍兵士の捕獲に影響を与えた。中央同盟国の軍隊は、1915年5月から6月には約535,300人から、7 月から8月には約348,000人の犠牲者に及んだ。ゴルリス作戦で中央同盟軍の最も深刻な犠牲者数は、オーストリア=ハンガリー軍の犠牲者数で、ドイツ軍の約2.5倍に及んだ。ドイツ軍の大参謀本部には、多数の死傷者数が発生して、帝政ロシア軍に対する攻撃を否定して、防御に切り替える要因になった。

 帝政ロシア軍側に、犠牲者の規模は、軍事作戦に大きな影響を与え、攻撃への移行でなく、長期の戦闘も放棄するに至った。特に苦痛だったのは捕虜数の増加であった。中央同盟国軍は、7月中旬から9月1日までに約511,679人の帝政ロシア軍兵士の捕虜数を発表した。





2023年4月30日日曜日

ウクライナ軍兵士はウクライナ東部のドネツク州の激戦地バフムトでの戦闘で負傷した。ウクライナ軍衛生兵は、2023年4月9日にウクライナ軍兵士に応急処置を施した。

ウクライナ軍兵士はドネツク州の激戦地バフムトでの戦闘で負傷した。ウクライナ軍衛生兵は、2023年4月9日にウクライナ軍兵士に応急処置を施した。バフムトは戦略的に重要でないが、軍事的士気を高めるために、完全に支配しようと両軍が戦闘した。ウクライナ東部のバフムトはロシア軍のミサイルと戦車にてほとんど廃墟と化した。弾薬の補給や負傷したウクライナ軍兵士を避難させるアスファルトの生命線は、泥が飛び散り、大砲を設置して生命線を確保した。










Warning: Military medics give first aid to a soldier wounded in a battle in Bakhmut, Donetsk region, Ukraine, Sunday, April 9, 2023. (AP Photo/Libkos)

 ウクライナ軍参謀本部は4月8日に、ロシア軍側は東部ドネツク州にあるウクライナ軍側の拠点の1つバフムトや、バフムトから約50km南にあるアウディーイウカなどへの攻撃に注力した。バフムトは一部の攻撃を撃退するも、ロシア軍側は完全に占領するために、激しい戦闘が継続した。バフムトの戦いは、イギリス国防省が4月7日に、ロシア軍は街の中心部まで到達して、ロシア軍側が一層攻撃を強めたと分析した。ロシア軍が打撃を受けた東部の都市では、ウクライナ軍はバクムト等への道路を確保して、ロシア軍による補給線の切断を阻止した。民間軍事請負業者であるワグナー・グループは、バクムト奪取作戦の先頭に立ち、双方で数千人の命を犠牲にして、ゆっくりと侵攻した。バフムトは、最も長く続いた戦場をめぐりブロックごとの戦闘が繰り広げられた。戦前人口が約7万人であったバクムトの戦いは、街を防御するより、反攻前にロシア軍を足止めをした。

 ロシア軍は迫撃砲や部隊を侵攻するも、毎日同じことの繰り返しであった。ウクライナ軍は、今後数週間から数ヶ月の間のロシア軍に対する反攻に備え、予備保有した多くの兵士をバクムトの戦いに投入し、ウクライナ軍部隊は多くの犠牲者を出した。ウクライナ軍兵士は、両軍の砲撃陣地の間に潜伏した。榴弾砲が発射され、砲弾は頭上で弧を描いて反対側で爆発して炸裂する悲鳴が聞こえた。










Warning: Military medics give first aid to a soldier wounded in a battle in Bakhmut, Donetsk region, Ukraine, Sunday, April 9, 2023. (AP Photo/Libkos)

2023年4月23日日曜日

ウクライナのハリコフ地方で、ウクライナ軍兵士は2023年4月頃の戦闘で戦死したロシア軍兵士の死体を梱包して死後処理した。

ウクライナのハリコフ地方で、ウクライナ軍兵士たちは、2023年4月頃の戦闘で戦死したロシア軍兵士の死体を梱包して死後処理した。ロシア軍兵士の死体は非公開の場所に運ばれて、戦死したウクライナ軍兵士の死体をロシア軍と交換する予定がある。ロシア軍兵士の死体は、もはや人間ではない。死体を列車の死体安置所に、積載したセミトラックから移乗した。











Warning: Ukrainian servicemen pack the dead body of a Russian soldier, killed in a recent battle in the Kharkiv region, Ukraine, Saturday, April 8, 2023. (AP Photo/Andrii Marienko)

 ロシア軍による4月初旬の砲撃で、少なくとも約7人の市民が死亡したとウクライナ当局が4月9日に報告した。ロシア軍はウクライナの工業地帯である東部全域の奪還に集中し続けた。一方で、北東部のハリコフと南東部のザポリージャの2つの州が、ロシア軍からミサイル、ロケット、砲撃を受けた。ケルソン州の2つの地方も、ロシア軍の戦闘機から爆撃を受けた。ウクライナ軍がハリコフ州のほぼ全域の支配を回復する前に、ロシア軍が制圧したクピアンスク市でロシア軍の砲撃で、2人の男性が4月9日に死亡した。ロシア軍が複数のロケットランチャーで住宅地を攻撃して、チュフイブ市は4月9日以降も攻撃を受けた。別の場所で、ロシア軍によるチュフイブ市への砲撃の後に、30歳の男性が重体で入院した。

 ザポリージャ州の州都であるザポリージャ市では、砲撃により一晩で2人(うち1人は2012年生の子供)が死亡した。ザポリージャ州では、全部で約18の地域が砲撃されて、4月8日には約3人が死亡して、約5人が負傷した。ザポリージャ州には、ヨーロッパ最大の原子力発電所があり、ロシアのプーチン大統領が2022年9月に不法に併合した。ロシア軍はその地域だけでなく、特にドンバス州の工業地帯を構成するルハンスク州とドネツク州からウクライナ軍を追い出した。

 特にドネツク州の都市バフムートは、約13カ月にわたる戦争で最も長い戦闘が展開された。ロシア軍は4月に、バフムートの中心部まで侵攻した。ロシア軍は8カ月以上かけてバフムートを奪取すれば、プーチン政権にとり勝利となり、突き進む道が開かれる。4月10日に、ロシア軍は精鋭部隊をバクムートに移動させた。

 ロシアの民間軍事会社であるワグナー・グループは、戦闘員がバクムートへの攻勢を先導して、甚大な損失を被った。空挺部隊や機動小銃兵など正規軍からの部隊の必要があると訴えた。4月8日から4月9日朝にかけて、ロシア軍はウクライナの各地に約40回の空爆、約4回のミサイル攻撃、約58回の多連装ロケットランチャーによる攻撃を行った。ロシア軍はドネツク州のライマン、バフムート、アヴディフカ、マリンカの各地域に攻撃を集中させた。ドネツク州で、4月8日に、2人の市民が負傷した。ウクライナ軍が11月にロシア軍の一部撤退を余儀なくしたケルソン州の南部地域も多数の攻撃を受けた。












Warning: Ukrainian servicemen pack the dead body of a Russian soldier, killed in a recent battle in the Kharkiv region, Ukraine, Saturday, April 8, 2023. (AP Photo/Andrii Marienko)


2023年4月16日日曜日

ウクライナ軍によるドネスク州の州都ドネスクの砲撃攻撃で、民間人の7人が2023年4月6日に死亡したと、ロシア軍当局とロシア系報道各社が発表した。

ウクライナ軍によるドネスク州の州都ドネスクの砲撃攻撃で、民間人の7人が2023年4月6日に死亡したと、ロシア軍当局とロシア系報道各社が発表した。ウクライナ東部で、ロシア軍が支配しているドネツク州の州都ドネツクに、ウクライナ軍がドネスクに対して2023年4月6日に砲撃を行ったとロシア軍当局者が公表した。ウクライナ軍が砲撃した直後に、ドネツクの露店の路地にビニールで覆われた民間人の死体が横たわった。








WARNING: A lifeless body covered by plastic lies on the ground at a street market after the shelling that Russian officials in Donetsk said was conducted by Ukrainian forces, in Donetsk, in Russian-controlled Donetsk region, eastern Ukraine, Friday, April 7, 2023. (AP Photo) 

 ウクライナ東部でロシア軍が支配しているドネツク州の州都ドネツクに、2023年4月6日にウクライナ軍が砲撃したとロシア当局者が公表した。ウクライナ軍の砲撃後に、ドネスクの民間労働者が、停車場付近でウクライナ軍の砲撃で殺害された。同僚の労働者が、ウクライナ軍の砲撃で殺害された死体の横に立って死体を見下した。



 








Warning: A man stands next to the bodies of killed workers near a motor depot after the shelling that Russian officials in Donetsk said was conducted by Ukrainian forces, in Donetsk, Russian-controlled Donetsk region, eastern Ukraine, Thursday, April 6, 2023. (AP Photo)

  ウクライナ東部、ロシア軍の支配下のドネツク州ドの州都ネツクで、ドネツクのロシア当局者が2023年4月6日のウクライナ軍による砲撃を公表した。ウクライナ軍の砲撃後に、自動車の修理工場の倉庫内で従業員が殺害された。仲間の男性従業員のイヴァン・ソロキン(Ivan Sorokin, 58歳)が、毛布に覆われて死亡した労働者の死体の横に立っていた。










 Warning: A man stands next to a body of killed worker in a motor depot after the shelling that Russian officials in Donetsk said was conducted by Ukrainian forces, in Donetsk, Russian-controlled Donetsk region, eastern Ukraine, Thursday, April 6, 2023. (AP Photo)

 ウクライナ東部のロシア軍当局は支配地域のドネスク州の州都ドネスクで、2023年4月6日に、ウクライナ軍による2回の砲撃で、合計7人の民間人が死亡したとロシア当局とタス通信社は公表した。タス通信社は、ドネツクでは砲弾が駐車場に直撃して、民間人4人が死亡して、さらに6人が負傷した。さらにドネツクの北東約120kmにあるリシチャンスクのバス停では、爆発により3人が死亡したと述べた。それに対して、ウクライナ軍当局から反論はなかった。ウクライナ州の州都ドネツクは、2014年以来、ロシア軍の代理勢力によって支配された。ロシア軍とウクライナ軍との戦争の最前線に近く、定期的にウクライナ軍から攻撃を受けた。

2023年4月9日日曜日

ロシア軍とウクライナ軍の間で激しい戦闘が行われたウクライナの首都キエフ北部のモシュチュン村で2022年3月30日に、民家の間にロシア兵の遺体が横たわった

ロシア軍とウクライナ軍の間で激しい戦闘が行われたウクライナの首都キエフ北部のモシュチュン(Moshchun)村で2022年3月30日に、民家の間にロシア兵の遺体が横たわった(Heidi Levine for The Washington Post) 。他にも約10体の死体がモシュチュン村に散乱し、そのうちの数人は森の端にあった。無数のロシア軍の死体が戦場に放置された。ウクライナ軍の安置所や冷蔵鉄道車両に約7,000体の引き取らないロシア軍兵士の死体があった。ロシア軍は、行方不明として報告するのが安上がりであった。

 モシュチュンの戦いは、ロシア軍のウクライナ侵攻の2022年3月5日から3月21日に、モシュチュン村で軍事交戦が勃発した。北方玄関口となり、キエフ防衛中の最も激烈で重要な戦闘の一つであった。ロシア軍は、約600人が戦死して、約600人が戦傷して、ウクライナ軍は約55人が戦死した。

 ウクライナ首都キエフの北にあるウクライナの村、モシュチュンの住民は、4月21日には自分の家に戻ることができた。ロシア軍が撤退する前に、対人地雷やその他の爆発物の痕跡を残した。この地域所には、まだ死の危険が潜んでいた。ロシア軍の侵攻で、焼かれ、爆撃を受けた自宅に戻るには、住民は死傷のリスクを書面で受け入れ、村の入口を警備するウクライナ軍からの免責書に署名が必須であった。

 住民は部分的に清掃しても、庭に爆発物が残存した。2022年2月24日のロシア侵攻の開始後に、ウクライナ国外に避難した数百万人のウクライナ人のうち、特に首都キエフ北部の住民は、ウクライナ軍の激しい抵抗に遭ってロシア軍が撤退した地域に帰還した。大部分の家が略奪され、窓は割れ、壁には破片が飛び散った。一部は、完全に焼失した。すべてを元の状態に戻す前に、不発弾が洗剤する可能性を慎重に検証が必須である。公式の地雷除去チームは、村のすべての建物を調査できない。不発物や罠のリスクがある。ロシア軍は、地面に置いた宝石の下に穴を掘って、爆発物を置いた。子ども用のおもちゃやウクライナ軍兵士の死体にもリスクがある。住民は、脱出の際、村民の中には書類や着衣以外は、爆発や火災で焼かれた。生き残った喜びを感じつつも、住民に対する暴行を目撃したトラウマを背負った。ロシア軍の爆撃から逃れるために、異なる家の地下室に潜んだ。











Warning: Bodies of Russian soldiers lie among civilian homes on March 30 in the village of Moshchun, Ukraine, where heavy fighting between Russian and Ukrainian forces (The Washington Post by Heidi Levine).

2023年4月2日日曜日

ワグネルのプリゴジンは2023年2月22日に、ウクライナ軍との戦闘中に弾薬が枯渇して、バフムト周辺の凍土で殺害されて死亡した数十人のワグネルの傭兵の悲惨な死体を公開した。

ロシアの民間軍事会社であるワグネルの創設者であるエフゲニー・プリゴジン(Yevgeny Prigozhin)は、ロシア軍の軍事エリートを痛烈に批判している。2023年2月22日に、ウクライナ軍との戦闘中に弾薬を奪われて、バフムト(Bakhmut)周辺の凍土で殺害されて死亡した数十人のワグネルの傭兵戦闘員の悲惨な死体を公開した。ロシア軍幹部との確執を新たな段階に引き上げるために、山積みになったワグネル軍兵士の悲惨な死体の写真を公開した。

 プリゴジンは、戦死の責任をロシア軍上層部に真っ向から問うた。「2月21日に、ウクライナ軍の砲撃の砲弾のために死んだ連中だ。母親、妻、子供たちが彼らの死体を手に入れるだろう。死体数は約5倍はあるはずだ。ワグナー戦闘員が死んだのは誰の罪なのか。罪深いのは、ワグネルが十分な弾薬を得れない問題を解決しなかった人たちである。」ロシア国防省は、ワグネル傭兵部隊を壊滅させる反逆的試みから、意図的に戦闘員から弾薬を奪っていると繰り返し非難した。ロシア国防省は「弾薬不足という戦闘部隊の主張は事実ではない」と否定した。ワグネルの元受刑者を中心とする戦闘員は、数万人が戦死した。ロシア国防省との確執で人員補充もままならない。

 ドンバス地方のソレダル(Soledar)は、バフムトから数マイル離れた場所にあり、ロシアがウクライナに侵攻してから約11ヶ月間、最も激しい塹壕戦で双方の軍隊が大きな損害を被っている。ロシア軍はウクライナ東部のソレダルに対する強力な攻撃を強化した。ウクライナ軍は、塩鉱山の町であるソレダーと近隣の前線でワグネル契約民兵が率いる攻撃を1月9日に撃退した。ワグネルの多数の部隊がすぐに戻って来て、砲撃の援護の下、新しい多くの兵士を投入した。ワグネルは、大量の大砲、MLRS、迫撃砲を使って、自軍の兵士の死体上を乗り越えた。攻撃は15人以下の小さな集団の波状攻撃で、最初の波は一掃された。ワグネルは、波状的にウクライナ軍の陣地を攻撃した。ウクライナ軍は、ソレダルから退却したと1月25日に公表した。ワグネルの戦傷者は横たわったまま死亡した。死体は極寒のため露出あるいは出血した。戦傷者を助ける人も、戦場から死者を回収する人も、誰も来ない。










Warning: Wagner casualties, reportedly in Bakhmut [Twitter]

2023年3月26日日曜日

2022年11月24日に、ウクライナのザポリージャ州のノボソローネにて、産婦人科病棟で出産した2日に、新生児の赤ん坊の男子であるセルヒイ・ポドリャノフは、ロシア軍のミサイル攻撃で殺害された。

2022年11月24日に、ウクライナのザポリージャ州のノボソローネ(Novosolone)にて、産婦人科病棟で出産した2日後に、新生児の赤ん坊の男子であるセルヒイ・ポドリャノフ(Serhii Podlianov)を、ロシア軍のミサイル攻撃で殺害された。母親のマリア・カミアネツカ(Maria Kamianetska, 36)は、祖母のテチアナ・スヴィストゥノヴァ(左)と妹のリューバに抱かれて葬儀をした。ウクライナのザポリージャ州ノボソローネの墓地で、生後2日のセルヒイの棺桶を、母親はじっと見つめ、泣き叫びながら棺桶に近づいた。










Warning: Maria Kamianetska, 36, is held by her mother, Tetiana Svystunova, left, and her sister, Lyuba, as she mourns her baby son, Serhii Podlianov, on Nov. 24, 2022, in Novosolone, Ukraine. (Heidi Levine for WaPo )

 2022年11月24日午前2時頃、母親が授乳を終えて、横のベビーベッドに寝かせた時点に、病院の産科病棟にロケットが撃墜してレンガ壁を砕いた。病院の壁は崩れ落ち、母子は瓦礫の中に閉じ込められた。母親は生存して瓦礫の中から救い出したが、赤ん坊の男子のセルヒイだけが殺害された。母親はベッドから体を起こし、ベビーベッドに向かって突進した。母親は、空っぽで愕然とした。赤ちゃんは爆風でベッドから飛び出した。母親が出産した産婦人科病院は、ロシアが併合したと主張するウクライナの4つの地域の一つのザポリージャ州のヴィルニャンスク町にあった。ザポリージャ原子力発電所から約170kmの距離にあるノボソローネの病院付近は、11月以降に特にミサイル攻撃の頻度が高くなった。11月21日午前8時20分に誕生した約6kg弱の健康な男子で、4人目の子どもだった。

 ウクライナ検察庁は、11月24日までにロシア軍の侵攻により殺害されたウクライナの子ども440人以上であると公表した。それに生後2日目のセルヒイも含まれた。救助隊員が産科病棟の残骸を探しながら、セルヒイは人形のように地面にうつ伏せになっていた。葬儀の赤ん坊の目は閉じられ、顔にはまだ小さな擦り傷が残っていた。祖母と義理の姉が母親の腕を掴み、立っているのを助けた。母親は棺桶の中に身を乗り出し、赤ちゃんにそっとキスをした。神父が水をかけた後、2人の男が丁寧に棺桶を地面に下ろした。遺族が墓に土を撒くと、遠くで砲撃音が鳴り響いた。兄と妹2人は、セルヒイの墓に連れて行かれたのは、葬儀の後であった。両親は、悲劇を子どもたちに見せたくなかった。










Warning: Maria Kamianetska kisses her son during his funeral. (Heidi Levine for WaPo)