2020年1月22日水曜日

ワルシャワ・ゲトーでユダヤ人の姉が路上で飢死しようとしている弟の面倒を見ていた。

1941年9月19日頃に、ポーランドの首都ワルシャワにおけるユダヤ人の強制居住区のゲットーにおいて、ユダヤ人の姉が路上で飢死しようとしている弟の面倒を見ていた。一見大きな人形のように見えるものを保持している歩道上の若い女の子がいた。彼女の抱えているのは、死んでいるか死にかけている彼女より若い子供の体であった。ナチス・ドイツ軍によって封鎖されたワルシャワのゲットーは、食物も希望もなく、強制収容所にユダヤ人を監禁した。ナチス・ドイツ軍が、ゲットーへの通行を阻止しているため、多くの女性や子供らは食料や水が手に入らなかった。
 ワルシャワのゲトーの写真は、43歳のドイツ国防軍のハインリッヒ・ヨースト(Heinrich Jost)軍曹が、ワルシャワのゲットーへ無許可に訪問して撮影した。ゲトーの壁に沿って横倒れの死体に出会った残酷な悲劇は、彼を驚嘆させ悲嘆させた。混沌とした不衛生な生活環境、飢餓、ナチス・ドイツ軍からの暴力の継続的な虐待による病気だけでも、1941年の夏だけで約16,000人近くの命を奪った。ホテルのオーナーであったヨーストは、ウクライナの首都キエフの占領日であり誕生日であった1941年9月19日に、ワルシャワに駐留している部隊から休暇を取った。1941年7月頃からユダヤ人の検疫のためにゲトーの撮影を禁止していた。ヨーストは命令に逆らって、カメラを持ってゲットーに侵入して、終日に写真撮影の探索をした。おそらく1日だけでは十分ではなかったので、彼は複数回ゲトーにでかけて、複数の場所で約160枚の写真を撮影した。終戦後から誰にも見せずに保管しました。彼の死の1年前の1982年になってヨスートはドイツのスターン誌のグンター・シュバルベルグ記者に写真を渡した。彼はイスラエルのヤド・ヴァシェムにもそのコピーを渡した。
 1939年9月1日にはドイツ軍はポーランドへ進攻して、ワルシャワはドイツ軍に占領された。1939年10月4日に秘密警察が、ユダヤ人居住区を占拠した。ユダヤ人評議会が、ユダヤ人居住区を監督した。ユダヤ人居住区ではチフスが流行して隔離が必要となった。1939年11月7日に、ワルシャワのユダヤ人居住区をゲットーにしてユダヤ人を封鎖した。ドイツ軍司令官はユダヤ人居住区に立ち入り禁止区域を設営した。1940年11月16日からゲトーは封鎖されて、自由な通行は不可能となった。1941年に、ゲットー全住民の約10分の1にあたる約4万3000人が病死と餓死した。1942年には更に死亡率が急増して、1942年7月に強制移送が始まるまでには総計で約8万3000人が死亡していた。