2019年8月9日金曜日

第一次上海事変で墜落して焼き焦げた日本人兵士の死体から、中国人兵士が銃剣で胸を切り裂いて、心臓を引きずり出して転がした。

第一次上海事変にて空母から離陸した爆撃機から、日本海軍飛行士が墜落死した。墜落して焼き焦げた日本人兵士の死体から、中国人兵士が銃剣で胸を十字に切り裂けて、心臓を引きずり出して転がした。その付近には中国軍用列車が、日本軍の爆撃機により空爆された。列車の鉄板に張り付いて、焼け焦げただれ腫れ上がった中国人兵士の死体が散乱した。日本軍が上海事変で猛威を振って、上海人を支配するために虐殺と虐待の異常行動を示威した。
 日本人が多く居住する上海北四川路及び虹江方面に対して日本軍の警備部隊を配置した。その地域からの撤退を拒否した国民党軍の第十九部隊より、1932年1月28日に突然の発砲に日本軍兵士が発砲して、第一次上海事変が勃発した。日本海軍省は先制攻撃を否定したが、戦後になって上海駐在日本公使館の武官が、関東軍の依頼で中国人を買収して突然の発砲させた記録が公表された。満州事変に集中している列国の批判をそらすために、日本軍が上海共同租界の周辺に侵攻した。
 上海市内では小銃や機関銃が鳴り響いて、上海市民が殺害された。上海市民は混乱に巻き込まれて、虐殺と虐待が横行して、強盗、誘拐、暴行がはびこった。日本軍は国民党政権の政府機関、企業、郵便、通信機関などを占領して、上海市民を無差別な虐殺と虐待をした。日本軍は、あらゆる近代兵器を持って約65,000人もの軍隊を投入した。防衛した約45,000人の国民党軍の十九路軍が防衛するも、3月3日に撤退して半数が犠牲となった。


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