2019年8月21日水曜日

沖縄戦での戦没者の遺骨が、埋没した壕の鍾乳洞から清い水底に青白くが浮かんでいた。

沖縄戦争にて特に激戦となった南部の野山には、多数の戦没者の遺骨が埋没した壕(ガマ)がある。終戦後67周年の2012年6月18日に沖縄糸満市大里の高嶺小学校の壕を探索した。壕の入口は、塞がれて狭小となって、その奥には鍾乳洞になっていた。その鍾乳洞から落ちる水で清らかな小川となっていた。懐中電灯で照らすと、清い水底に青白い骸骨が浮かんでいるのが探索された。その他に周囲には、破損して腐った軍靴も散乱していた。当日だけで、数十人の遺骨が探索された。回収した遺骨は、2011年8月1日に開設された沖縄平和祈念財団の戦没者遺骨収集センターに送致された。
  日本本土として初めての沖縄戦において犠牲になった戦死者数は、日本は日本軍兵士と沖縄市民で約188,136人に昇った。アメリカ軍兵士は、約180,000人も動員して、約12,520に達した。日本人の戦死者の多数の死体は散乱して埋没していた。その遺骨数は約188,136人柱と想定されて、2019年までに回収された遺骨の人柱数は約188,136人柱であり、未回収の遺骨は約2,850人柱で、野山や塹壕などに依然として埋没している。