2024年9月19日木曜日

アメリカ軍の従軍記者で、1944年度のピューリッツア賞の受賞者であるアーニー・パイルは、1945年4月18日に、沖縄戦の伊江島で日本軍兵に狙撃されて戦死した。

アメリカ軍の従軍記者のアーニー・パイルは、1945年4月18日に、沖縄の伊江島で日本軍兵に狙撃されて戦死した。アーニー・パイルは、伊江島での他の戦死者に混じって、アメリカ軍の歩兵二等兵と戦闘工兵の間にヘルメットをかぶって埋葬された。

 アメリカ軍のアーニー・パイルは、1945年4月17日にアメリカ陸軍第305歩兵部隊とともに沖縄の伊江島に上陸した。パイルは、第77歩兵師団歩兵第305連隊とともに、沖縄本島の北西にある小さな伊江島に上陸した。連合軍は伊江島を捕捉したが、まだ完全に日本軍兵士を排除していなかった。4月18日になって、現地の敵対勢力であった日本軍を無力化していた。パイルは、ジョセフ・B・クーリッジ中佐とジープで伊江島を移動していた。パイルは305部隊の指揮官であるクーリッジ中佐と3人の将校とともに、クーリッジの新しい司令部に向かってジープで移動していた。

 伊江村の近くで前方の交通を避けるためにジープが減速したとき、3分の1マイルほど離れたサンゴの尾根に隠れていた日本軍兵士が南部機関銃で発砲した。炸裂弾が頭上から道路を直撃して、彼らははすぐに近くの溝に隠れた。少し経過して、パイルとクーリッジは辺りを見回すために立ち上がった。日本軍兵士がまた発砲して、銃弾をかわしたクーリッジが振り返ると、パイルが倒れていた。銃弾がパイルの左のこめかみを直撃した。クーリッジは、従軍記者のアーニー・パイルを見ると被弾して死亡していた。

 1944年6月6日はDデー(攻撃開始日)に、連合軍の「史上最大の作戦」によるフランスのノルマンディー上陸が開始された。上陸の初日は、僅かな地域しか占領できず、全域を制圧するには20日を要した。ノルマンディ上陸作戦はおおむね達成したものの、犠牲となった兵士も多い。従軍記者アー二ー・パイル(1900-1945)は、Dデイ艦隊に乗船し、部隊に続いて直後に上陸した。彼は爆撃を受けて負傷して、あやうく死からのがれられた。この際の記事で、アニー・パイルは1944年度のピューリッツア賞を受賞した。