2019年1月4日金曜日

朝鮮戦争の直後に、韓国軍は思想政治犯を射殺して死体を塹壕下に捨て、死体の検証して生存した囚人たちを直ちに処刑した。

朝鮮戦争が勃発した1950年6月25日の勃発時には、韓国政府は大田刑務所に左翼系の国民保導連盟員、左翼事件の関係者や被疑者らが約2,000を拘束していた。特に国防警備法・特別措置令・布告令違反で逮捕された者は、全て思想政治犯人として、1950年7月8日から10日の間に処刑にて直ちに虐殺された。トラックから思想政治犯を引きずり下ろして、射殺された多くの死体は塹壕下に捨てられた。死体の検証して、射殺後に生き残っていた囚人たちは直ちに処刑にて虐殺された。
 朝鮮戦争が勃発した直後から、戒厳令下にて、大韓民国の韓国軍も北朝鮮の人民軍も、軍事裁判にて処刑執行人となった。両国家権力は、敵対国の協力者や容疑者となった民間市民を、反逆者として虐待と虐殺をした。戦争下における軍事的対決の危機の防衛のために、民間市民ら自国に服従と隷従に導いた。韓国軍あるいは人民軍は、占領した地域で、軍事裁判や人民裁判によって、反対勢力や左・右翼の関係者や容疑者を処刑した。朝鮮戦争の直後から、北朝鮮の人民軍が南下して押し寄せて来た。大田などの南下領域でも、韓国軍は7月8日から16日の間に人民軍に同調する思想政治犯人や民間市民らを急遽に虐殺して抹殺した。アメリカ軍と韓国軍は9月16日に仁川から上陸して、9月28日にソウルを奪還して。人民軍を以北まで撤退させた。韓国軍が朝鮮半島の南部を再占領した時には、人民軍に付随した容疑者や民間市民らを摘発して報復的な虐殺をした。