ベトナム戦争にて南ベトナム解放民族戦線(ベトコン)のテト攻勢により、北ベトナム兵士が1968年1月31日にサイゴンのアメリカ大使館に侵入して約6時間も占拠して、1人の捕虜以外の全員が銃殺された。
南ベトナム解放戦線兵士が1968年1月31日午前3時を期して、南ベトナムの首都サイゴンなど主要都市、軍事基地にいっせいに攻撃を仕掛けて、サイゴンではアメリカ大使館のほか、大統領宮殿、タンソンニャット空港の空軍基地、サイゴン川に面した海軍基地、放送局など7ヵ所が攻撃された。午前3時ごろ約20人のベトコン・ゲリラが、正門と塀に対戦車ロケット砲を打ち込んで破壊して、機関銃を撃ちながら大使館に乱入した。テトの旧正月のために、アメリカ大使館には海兵隊の警備兵6人とベトナム人警官の数人、宿直のアメリカ人職の員数人だけが残っていた。アメリカ大使館側は、不意を衝かれて劣勢となり、1階から4階へと追い詰められた。アメリカ軍の救援がヘリコプターで屋上に降下して、地上からのアメリカ軍兵士と憲兵らが、アメリカ大使館内に突入したベトコン・ゲリラを攻撃した。ベトコン・ゲリラは上からと下から挟み撃ちにされ、ついに捕虜1人を残して他は全員射殺された。アメリカ側も海兵隊員と憲兵隊員にも数人の犠牲者が出た。
テト攻勢が最初に終結するまでに約1か月かかった。態勢を立て直したアメリカ軍や南ベトナム政府軍の反撃で、推定約67,000人のベトコンの兵力は3分の2が壊滅した。水面上に姿を現した秘密工作員たちや民間市民らも、南ベトナム政府の秘密警察や公安当局、米軍特殊部隊に、鎌で刈り取られる芦のように次々に攻撃と摘発されて処刑された。南ベトナムの戦場では、テト攻勢から立ち直ったアメリカ軍と南ベトナム政府軍が、ベトコンに巻き返した。
アメリカ合衆国では政府への不信、ベトナムから手を引く反戦機運が一気に噴き出した。大統領、リンドン・ジョンソンは大統領選挙の再選をあきらめ、北ベトナムに和平交渉を申し入れた。大統領選挙では、ベトナムからの撤退を旗印にした共和党のリチャード・ニクソンが勝った。