2020年8月15日土曜日

1942年4月18日の東京の初空襲により、荒川区尾久の民家が炎上して居住した一家6人が残酷にも焼死した死体が散乱していた。

太平洋戦争にて、1942年4月18日の早朝午前8時15分から、アメリカ軍の16機の爆撃機により東京が初めて空襲(Doolittle Raid)された。東京より東方に約965kmの空母から、約13機のB-35爆撃機が飛来した。爆撃機が到来した時には、空襲警報は発令されずに、空襲した後になってから鳴った。東京都民は、初めての戦争の現実に直面して大混乱した。逆に、日本国民は、アメリカ軍の空襲の衝撃よって、戦争の意思が高揚した。アメリカ国民は、空襲が劣勢を挽回して歓喜した。大本営は、平和から戦争の現実から、ますます戦争に突入する起因とした。東京初空襲に引き続いて、川崎市、横須賀市、名古屋市、神戸市なども空襲した。

 アメリカ軍機は、東京湾の海面すれすれの低空飛行で、大川南浜川に侵攻して、海岸の周囲に空爆した。次いで大井滝王子町の付近に多数の焼夷弾を投下した。その他に、荒川区尾久9丁目、王子区稲付1丁目、小石川区関口水道町、牛込区鶴巻町、馬場下町等にも、焼夷弾を投下した。その焼夷弾によって、多数の民家が延焼した。月島方向から品川方面かけて、空襲の弾幕が立ち上った。1942年4月18日の東京の初めての空襲により、荒川区尾久の民家が炎上して居住していた一家6人が残酷にも焼死した死体が散乱していた。爆弾が炸裂して、土穴が開いて、建物は爆風で壁などが吹き飛んで、火災が発生して、残骸が散乱した。警察と消防隊員が、焼死体の検死をして、焼トタンの上に課さるた。無差別な空襲により、男女の区別もできず、哀れな子どもの死体もあった。 東京初空襲による市民の死者数は、約39人に留まった。その他の都市では、約48人の民間市民が死亡した。東京大空襲とは1945年3月10日 の夜間空襲を示唆して、死者数は約10万人以上にも達した。

 

 
 
全国戦没者追悼式 2020(令和2)年8月15日 日本武道館
本日,「戦没者を追悼し平和を祈念する日」に当たり,全国戦没者追悼式に臨み,さきの大戦において,かけがえのない命を失った数多くの人々とその遺族を思い,深い悲しみを新たにいたします。
終戦以来75年,人々のたゆみない努力により,今日の我が国の平和と繁栄が築き上げられましたが,多くの苦難に満ちた国民の歩みを思うとき,誠に感慨深いものがあります。
私たちは今,新型コロナウイルス感染症の感染拡大により,新たな苦難に直面していますが,私たち皆が手を共に携えて,この困難な状況を乗り越え,今後とも,人々の幸せと平和を希求し続けていくことを心から願います。
 ここに,戦後の長きにわたる平和な歳月に思いを致しつつ,過去を顧み,深い反省の上に立って,再び戦争の惨禍が繰り返されぬことを切に願い,戦陣に散り戦禍に倒れた人々に対し,全国民と共に,心から追悼の意を表し,世界の平和と我が国の一層の発展を祈ります。
徳仁(なるひと)上皇第1皇男子 宮内庁