2019年9月10日火曜日

ネパール政府軍兵士は、木製の担架でマオイストのゲリラの死体の両手と両足を縛って運搬して、死体を集積した。

ネパール政府軍兵士は、ネパール共産党毛沢東主義派(以下、マオイスト)のゲリラとの戦闘で、2002年5月に殺害したゲリラの死体を集積した。ネパール政府軍兵士は、木製の担架でゲリラの死体の両手と両足を縛って運搬した。ゲリラは、1996年頃から政府軍に反抗して、中山間地域を基盤にして、血にまみれの内戦が勃発した。
 ネパール内戦が、1996年2月13日から2006年11月21日の包括的和平協定の成立まで、約11年間にわたり、ネパール政府軍とマオイストの間で繰り広げられた。2002年5月に、マオイストのゲリラ拠点であるネパール中西部のロルパ郡ガム村に、ネパール政府軍の治安部隊がマオイストのキャンプを襲撃して、無差別に約150人を殺害した。
 1996年に、マオイストはネパール政府に対して武力闘争を開始した。その後、2006年の停戦に至るまでの約10年間で民間市民を含めて、約13,000人もの犠牲者を出した。内戦だけでなく、カーストや民族間の対立、援助慣習など社会問題により、社会的環境は悪化した。国連のUNMIN(国連ネパール政治ミッション)が、2007年1月から2011年国連平和維持活動をした。2008年には制憲議会選挙を実施して、第1党となったマイトス勢力が王政が廃止して、ネパール連邦民主共和国に移行した。王政の廃止以降に、憲法制定作業が難航した新憲法が、2015年9月20日に公布された。