2019年9月25日水曜日

キプロス紛争の取材中に、BBCの音声係が地雷で爆死して死体が地面に横たわり、側で負傷した特派員にトルコ軍兵士が立ち寄った。

キプロス紛争中の1974年の取材時に、BBCの音声係のテッド・ストッダートが、地雷で爆破されて死体が地面に横たわった。その側で負傷した特派員のサイモン・ドゥリングを救出するために、トルコ軍兵士が立ち寄った。その瞬間を、NBCニュースの中東特派員およびテルアビブ局長であったマーティン・フレッチャーが取材した。トルコは、1974年にキプロスに侵攻した。音声処理技術担当者で、音声の録音を担当していたテッド・ストッダートは地面で地雷を踏んで爆死した。NBCニュース特派員であったマーティン・フレッチャーのわずか0.91m(3フィート)離れた地点であった。数秒後には、もう一人の関係者が別の地雷を踏んで、炎と煙のなかで爆死した。マーティン・フレッチャーは、両人を助けることなく、その瞬間を撮影していた。1974年に国連が定めた緩衝地帯により、両首都であるニコシアの中心部を含めた国土は、全長約300kmもの鉄条網とコンクリート壁、地雷原で出来た境界「グリーン・ライン」で2つに分断された。
 キプロスは、1960年8月16日にイギリスからの独立を達成した。人口の8割を占めるギリシャ系住民は、ギリシャとの合併を求めた。1974年7月17日にギリシア合併推進によるクーデターが勃発した。トルコは1974年7月20日にトルコ系住民の保護を目的に派兵して、キプロス島北部を占領した。キプロス全島からトルコ軍占領地域にトルコ系住民の約10万人がが移住した。トルコ軍占領地域内のギリシャ系住民の約18万人はキプロス南部に脱出して約99.5%を占めた。北キプロスは、トルコ系住民が約98.7%となる圧倒的多数派を占めた。トルコ系住民はトルコの庇護のもと1975年にキプロス連邦トルコ人共和国を結成して、キプロス共和国の連邦国家としての再編成を要求した。1970年代を通じて国際連合は統合交渉したが、南キプロスがクーデター以前の体制の復活を要求して、北キプロスは対等な連邦国家の独立を要求した。1983年11月15日に北キプロス・トルコ共和国は独立を一方的に宣言した。
 1991年からの地雷禁止国際キャンペーン(ICBL)により、1997年9月にオスロで対人地雷全面禁止条約が採択され、1997年12月にオタワで150カ国が署名し、141カ国が批准した。しかし、アメリカ、中国、ロシア、インド、パキスタン、北朝鮮、ミャンマー、韓国などは署名を拒絶した。地雷の死傷者は世界で1日約70人、1年で25,000人に達する。現在は、地雷の犠牲者は兵士ではなく、市民や子どもがほとんどを占める。