2019年4月6日土曜日

原子爆弾の熱線による重度の背中の火傷に伴う疼痛により、救護所で背中を下にできず苦悶してうつ伏せに寝込むんだ。(広島)

広島原子爆弾が1945年8月6日午前8時15分に投下されて炸裂した。広島原子爆弾の炸裂から発する激烈なるすさまじい爆風の圧力、爆風、熱線の威力などが複合して押し寄せた。男性は、熱線による悲惨な重度の火傷を背中一面に受傷した。火傷によるひどいびらんは、一面に表皮が破れ落ちた。火傷に伴う疼痛によって、救護所のふとんに仰向けになったままで、背中を下にできなかった。そのために背中を上にして、苦悶してうつ伏せに寝込むしかなかった。少しでも身体を動かすものなら、傷口が干割れして、中から膿血がタラタラと流れて飛び上がるほど疼痛を伴った。毎日うつ伏せの寝たきり状態で苦痛を耐え忍んだ。
 人体に熱傷を与えたのは、爆発後の約0.3秒から3秒の間に放射された赤外線であった。衣服をまとわぬ人体皮膚の熱線と熱傷は、広島で爆心地から約3.5km、長崎で約4kmまで及んだ。熱線による織物や木材などの黒こげは、広島で爆心地から約3km、長崎では 約3.5kmまで及んだ。両都市とも爆心地から約1.2km以内で遮蔽のなかった人体に致命的な熱線熱傷を受け、被爆死の約20から30%が原子爆弾による熱傷と推定された。
   原子爆弾の炸裂直後から発したわずか数秒間の激烈な熱線により、被爆者の建物や衣服から十分に遮断されていない皮膚に放射された。凄まじい熱戦により、重度の火傷による犠牲をもたらした。爆心地からの距離や方向で火傷の程度は異なった。前方向から被爆した人は腹部に火傷、後方向から被爆した人は背中側が火傷を受傷した。重度の火傷になると表皮は焼けただれてはがれ落ち、皮下の軟部組織や骨まで開放し露出した。

https://drive.google.com/file/d/1-9zbST5bNNtIYo-k2zrYS2O1mBK6HW8A/view?usp=sharing