2018年10月7日日曜日

アフリカ南部のボーア戦争におけるスピオン・コップの戦闘により、イギリス軍兵士の膨大な死体が塹壕に散在した。

アフリカ南部のボーア戦争におけるスピオン・コップの戦闘により、イギリス軍兵士の膨大な死体が塹壕に散在した。

 イギリスは、豊富なダイヤモンド鉱山を独占するためトランスヴァールの併合を狙った。1877年4月に併合宣言を出して、イギリス軍は混乱するトランスヴァールの首都プレトリアを占領した。1880年12月にトランスヴァール内で、オランダ系を主体とする白人移住者を主体とするボーア軍が挙兵して、第1次ボーア戦争が勃発した。地の利のあるボーア軍が、イギリス軍を撃破して、プレトリア講和会議によるロンドン協定に追い込んだ。

 1886年にトランスヴァール共和国・ヨハネスブルグ西方の町ラントで世界有数の金鉱脈が発見された。ゴールドラッシュがスタートして、ボーア人系も約7,000人がラントに移住して、イギリス系も約2万人が移住した。イギリス系大財閥が本格的に金採掘に参入した。トランスヴァール併合するために、1899年10月に第2次ボーア戦争が勃発した。イギリス軍は軍事力で圧倒的するも、ボーア軍側の抵抗が凄まじく、戦争は3年半以上も継続した。イギリス軍は1900年1月19日から24日にレディスミスを攻略するスピオン・コップ の戦闘で敗退して、約1,000人もの犠牲者を出した。一連の敗退から大英帝国はボーア戦争に威信をかけ、オーストラリア、ニュージーランド、カナダ、インド、ビルマなど、大英帝国から義勇兵による大英帝国の戦争となった。ボーア軍はゲリラ化して、大英帝国軍は泥沼化が続いた。大英帝国軍は、ゲリラ化する農村地帯を焼き払い、女性・子供・老人などのボーア人非戦闘員を強制収容して虐待と虐殺した。主導者であるオランダ系住民への弾圧を強化して、1902年5日にプレトリア講和に導いた。 トランスヴァール、オレンジ両州は直轄植民地としてイギリスの統治下に入れた。大英帝国の市民が多く犠牲となり、大資本家は利潤を得るため富国強兵に導いて、膨大な戦費は国税から賄わせた。オランダ系のボーア人は困窮から脱出するためにアフリカ原住民の黒人を奴隷化して人種差別するアパルトヘイト政策を構築した。