2018年10月14日日曜日

ソ連の強制収容所であるクラーグの病室で、飢餓で重篤な入所者の大多数が死亡した。

ソ連の強制収容所であるクラーグの病室で、飢餓で重篤な入所者の大多数が死亡した。
 グラーグは、スターリン時代に生まれた恐怖の収容所である。ソ連内で市民同士の密告システム、秘密警察が拿捕する。何ら証拠もなく市民は手当たり次第に逮捕される。一度囚えると裁判なども省略して、シベリアの強制収容所に送られる。極寒の中で餓死状態で悲惨な重労働を何十年も強制され、生還はほとんど皆無である。
 強制収容所は、敵対者や反体制勢力を隔離する施設であった。シベリアの開発のために労働力の確保も必要な収容所でもあった。ソ連邦の社会主義は、初期には強制収容所が基盤となった。ゴルバチョフは、収容所システムに迫害された勢力の出身であった。ペレストロイカとともに、強制収容所は実質的に閉鎖された。ソ連邦崩壊に伴って、存在すら化石になっている。生き証人もなくなると、強制収容所の全貌を明らかにできない。
 アブグレイブやグアンタナモの捕虜収容所等では捕虜虐待が起きている。強制収容所の教訓が生かされていない。戦争捕虜の処遇の問題であり、ソ連の強制収容所は、完全に社会体制の一部として機能していた。グラーグの問題は、囚人の待遇以前の問題である。
 反対勢力は、強制収容所を否定し隠蔽してきた。社会主義はすばらしい、決めつけでっちあげ裁判ですら肯定し、強制収容所はデマだウソだと言い続けた。否定できなくなったときには適当に言葉を濁してごます。ソルジェニーツィン『収容所群島』も世界にソ連強制収容所の実態を初めて、西側世界に衝撃をもたらした。