2018年10月25日木曜日

カンボジアのタソー村の魔の森の処刑場で、ポルポト派により虐殺された親族の死体の人骨を土中から掘り出した。

カンボジアのタソー川に沿って、「魔の森」と呼称された森の地域があった。ポル・ポト政権は、南東部のスペイリエン省のタソー村の近隣にあった魔の森を処刑場とした。タソー村や近隣の大多数の住民は、魔の森に連行されて虐殺された。虐殺された死体は、地中に埋められた。タソー村の住民の約2,500人が連行されて、約1,800人が虐殺された。特に、1977年3月頃に、カンボジア住民らを親ベトナム派と疑われて、親類も含めてほぼ全員が摘発されて最大の大量虐殺が執行された。その頃にはカンボジア・ベトナム戦争が1975年5月から勃発して、ベトナム軍が侵攻した1978年12月25日から大規模な戦闘に転移した。魔の森の土中を掘り起こすと、多数の白骨が散乱した。人体が土中で腐って人骨となるために、表面の土砂は窪んだ。人骨だけでなく、黒い農民服であった衣服も絡んだ。カンボジアの各地には、魔の森のような処刑場が散在していた。スペイリエン省全体で、摘発され虐殺された知識人らは約5,000人以上にも達した。1976年初頭から1977年末までに住民から知識人も摘発されて虐殺された。
    大虐殺時代の当局の命令のすべてはオンカー組織からであった。オンカーとは何か、当局も誰にも知らされず、上層部からの命令系統であった。オンカーの命令は上位組織から下位の組織と一方的に伝令される。ポル・ポト派のカンプチア共産党を頂点とする極秘のオンカー組織であった。市民らには伏せられた支配者であるオンカーによる恐怖政治が君臨した。オンカーは市民らを摘発すると、市民自ら土中を掘らせて、後手に縛られて撲殺して虐殺して、土堀に落とし込んで埋めた。


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日本平和の市民連盟は2018年10月25日にBloggerの投稿数は700回に達した。