2018年9月9日日曜日

パプアニューギニアにあるココダ・ルートからの日本軍兵士は海岸沿いで全滅した。

日本軍兵士は、太平洋戦争にてパプアニューギニアの海岸沿いで全滅した。連合軍は海岸の橋頭堡で最後の抵抗をした日本軍兵士を壊滅した。虐殺と破壊した惨状となり、病気と腐敗が蔓延した死骸が散乱した。ライフルさえ持ち上げれない病人や負傷者は槍で武装して戦闘に戻った。パプアニューギニアにあるココダ(Kokoda Track・Trail)ルートで、日本軍はオーストラリア軍と山中で、1942年7月から1943年1月まで死闘を繰りひろげた。ポートモレスビーからココダさらにブナの標高約3,000mのオーウェンスタンレー山脈を切り開いた密林のルートである。日本軍は約13,000人とオーストラリア軍は約6,000人が犠牲となった。1942年、シンガポールを陥落させさらに南方に戦線を拡大した日本軍が、次に南太平洋を侵略した。南太平洋に拠点と航空基地を築き、アメリカ軍の増援・補給を妨害して日本の戦況を打破しようとした。ニューギニア・ポートモレスビー攻略をするのに、日本海軍は1942年5月の珊瑚海海戦で空母艦隊に大損害を受けた。日本陸軍はオーウェンスタンレー山脈の陸路を越える作戦を強行した。オーストラリア軍は、日本軍が飛行場があるポートモレスビーに拠点を占領すと、本格的になるオーストラリア攻撃を防御して阻止した。オーストラリア軍と日本陸軍がオーストラリア軍司令部のあったイスラヴァ村で激闘を展開した。日本軍は大本営の指令により1942年9月25日から撤退を開始した。日本軍兵士は食料も無く、餓えと病気と戦闘で次々に戦死して、1943年1月にギルワから撤退するまでに壊滅した。