2018年8月14日火曜日

沖縄戦での日本人兵士の死体の写真を、アメリカ軍の海兵隊が「良いニップ」と説明文に入れて公表した。

沖縄戦での日本人兵士の死体の写真を、アメリカ軍の海兵隊が「良いニップ」と説明文に入れた。日本軍兵士をJapaneseのジャップではなく、Nipponのニップと呼称した。アメリカ軍は沖縄に1945年4月1日に、激しい艦砲射撃後に嘉手納飛行場に面した海岸に上陸した。水際での上陸時に何ら攻撃も少なく、上陸して約一か月間は戦闘も乏しかった。日本軍は敵を引きつけて叩く防御戦により、5月1日から戦闘が勃発した。沖縄に豪雨が降り、ぬかるんだ沼地の大地と、激しい攻撃に双方とも多数の死傷者を出した。アメリカ軍は、圧倒的な武器と物資が優位となり、次第に侵略地域を広げた。5月15日の安里52高地の戦闘は、玉砕した太平洋諸島と匹敵する激しい死闘となった。双方とも死体を後方に連れ戻る余裕もなく、死体は放置された。5月21日から高温多湿で激しい豪雨となり、戦地には耐え難い悪臭が漂った。アメリカ軍は5月29日に日本軍の司令本部がある首里高地に侵攻して、沖縄戦は激しさを増した。6月中旬からの国吉丘陵が最後の厳しい死闘となった。死者が続出しまさに双方の屍と悪臭の沼地の劣悪な戦地となった。アメリカ軍は沖縄戦の収束から、洞窟に潜む日本兵を、火炎放射器で掃討した。6月21日に沖縄の日本軍が降伏して沖縄戦は終結した。沖縄戦でのアメリカ軍の死者・行方不明者は7,613人で、精神病兵士は26,221人にも及んだ。日本軍の戦死者は107,539人で、さらに悲惨なのは民間人の死者が42,000人にも達した。市街地が戦火に巻き込まれた戦場となり、沖縄市民には悲惨で残酷となった。