2018年8月22日水曜日

朝鮮戦争で中共軍が最も南の方まで侵攻した戦闘にて、中共軍兵士の死体が放置されて散乱した。

朝鮮戦争にて、中国軍と北朝鮮の中共軍は、1950年12月に平壌を奪回して、1951年1月4日にはソウルを再占領して、国連軍は漢江の南に退却した。すごく極寒の冬の夜間に、ソウルから南に40キロ離れた西北部の都市である水原付近で、アメリカ軍は合流した。アメリカ軍本部近辺では戦闘の準備しても、兵士らは寝るときにも軍靴を脱げない。1月25日の夜間にも、戦闘が迫っていた。一晩中銃声が聞こえ、アメリカ軍の戦車が重い機械音を出して本部の前を通った。四方から銃声が激しく鳴って、兵士は浮目づかいで夜中を明かすしかなかった。次の日の朝、宿泊した本部の近くにあった街路地に、中国と北朝鮮の中共軍の死体が散乱していた。前日の夜中の激しい戦闘により、中国と北朝鮮が戦死者の死体を放置したまま撤退していた。その夜間は、朝鮮戦争で中国と北朝鮮の共産軍が最も南の方まで侵攻した。朝鮮半島のほとんどの地域では森林が破壊されて、戦場は常に荒廃した地域に変貌した。水原付近で行われた戦闘で、射殺された中国と北朝鮮の共産軍兵士は、アメリカ軍の管轄区域だった。中国軍は日中戦争や国共内戦の実戦と、ソ連が支援した最新兵器や日本軍の残存兵器で、中国軍が1950年10月19日に参戦して優勢だった。、度重なる戦闘で膨大な戦傷者や補給線が乏しく、侵攻が鈍化し始めた。アメリカ軍は最新兵器でようやく反撃して、3月14日にはソウルを再奪回したが、戦況は38度線付近で膠着状態となった。