2018年7月27日金曜日

日本人兵士の膨大な死体群が、インパールから撤退する道端に散乱し、至る所に死骸は放置され腐敗した。

大東亜戦争の中期に、日本軍はインパールの戦闘で壊滅して敗退した。ビルマの首都のラングールもイギリス軍に再占領された。撤退する日本軍兵士は、衰弱して飢餓状態となり悲惨な撤退となった。骨と皮だけにやせ細り、水分も乾燥して干された日本人兵士の膨大な死体群が、撤退する道端に散乱した。至る所に、死骸は放置されて腐敗した。日本軍は1944年3月に決行した無謀で悲惨なインパール作戦で約30,000人が戦死して、戦傷者は約40,000万人に及んだ。

 日本軍は、1942年1月7日にインドシナ半島西の現ミャンマーであるイギリス領ビルマに進攻して、全土を占領した。イギリス軍はインド北東部アッサム地方に位置したビルマに近いインパールに敗走した。日本軍のインパール作戦は、川幅600mにもおよぶ大河と2000m級の山を越え、ビルマからインドにあるイギリス軍の拠点であるインパールを約3週間で攻略する作戦だった。後方からの補給も途絶えた日本軍はインパールには誰1人もたどり着けず、7月1日に至り作戦が中止された。激しい雨の中で、イギリス軍の攻撃にさらされながらの撤退を余儀なくされた。チンドウィン河を越える400キロもの撤退路で兵士は次々に倒れて、死体が積み重なっていった。腐敗が進む死体、群がる大量のウジやハエ、自らの運命を呪った兵士たちは、撤退路を「白骨街道」と呼んだ。