アメリカの南北戦争にて1863年7月5日に、ペンシルベニア州のゲティスバーグに位置するローズ・ウッズ(バラの森)の端に、殺害された南軍の死体を埋葬のために集積した。これらの南軍兵士の死体は、1863年7月2日にローズ・ウッズとその周辺で戦った南軍のジョージア連隊あるいはサウスカロライナ連隊兵士の死体と推定された。チャンセラーズビルでの恐ろしい交戦の代償の一部でもある。南軍の最大の損失はストーンウォール・ジャクソン中将であった。何百人もの両軍の戦死兵士の死体が、夜の荒野で燃え盛る雑木林の中で焼かれた。
ティモシー・オサリバンとアレクサンダー・ガードナーの戦争写真家が、1863年7月5日あるいは7月6日にローズ・ウッズの端近くで撮影した一連の写真の1枚である。ボルダーに最も近い兵士の死体は浅い墓に横たわった。背景には、写真家たちの暗室ワゴンが見える。ゲティスバーグのローズ・ウッズにいた南軍の死者の写真は、埋葬を待つ複数の男性が伏せた状態で一列に並んで、約3人ほどがうつ伏せになった。
死体群は南軍が撤退する前に、埋葬するために集積した。腐敗し、肥大化した死体を集めた。腐敗して肥大化した死体を、最後の安置する墓地まで引きずるロープの先には、しばしば曲がった銃剣がフックとして使われた。引きずりの最中に、死体のズボンが下りてきた。南軍兵士が死体を埋葬する直前に、埋葬は未完成のままで、退却するよう突然命令が下された。
1863年7月1日から7月3日に勃発したゲティスバーグの戦いは、北米で戦われた最大の陸戦となった。ゲティスバーグでは、南軍のロバート・リー将軍が率いる北ヴァージニア軍は約7万5千人であった。北軍のジョージ・C・ミード将軍が率いるポトマック軍は推定9万3千人であった。ゲティスバーグの戦いで、北軍と南軍のおよそ約5万人の兵士が死傷・行方不明の犠牲の結果に終わった。