2023年7月11日火曜日

第一次世界大戦の西部戦線の戦場にて、弾丸を浴びた木々には、銃殺されたドイツ軍の偵察兵の死体がぶら下がっていた。死体は木の枝に支えられ、手足が垂れ下がっていた。

第一次世界大戦の西部戦線の戦場にて、弾丸を浴びていた木々には、銃殺されたドイツ軍の偵察兵の死体がぶら下がっていた。死体は木の枝に支えられ、手足が垂れ下がっていた。フランス北部への侵攻が始まって、戦争の暴力の悲劇的な道標であるドイツ軍兵士の死体を、降ろす者はいなかった。1914年12月6日付けのル・ミロワール(Le Miroir, 写真週刊誌)の一面に掲載された。特に興味深い戦争に関する写真資料を掲載して刊行した。




  ル・ミロワールは、1910年に創刊した写真を多用したフランスの定期刊行の写真週刊誌である。日刊紙であったル・プティ・パリジャン(Le Petit Parisien)の付録であった。ル・プティ・パリジャンは、1876年10月15日から1944年8月17日まで発行されたフランスの日刊紙であり、第一次世界大戦前夜には、ル・プティ・ジュルナル、ル・マタン、ル・ジュルナルとともにフランス4大日刊紙の一つであった。

 ル・ミロワールは、1914年8月8日から戦争報道に切り替えた。1914年12月6日付けの一面では、木に吊るされたドイツ軍兵士の死体を掲載した。第一次世界大戦中に、ほとんどのヨーロッパ戦線の後方にいるフランス国民に、ル・ミロワールは、戦場で暴力が勃発していることを実にリアルに伝える機関紙として機能した。戦争を語るには、戦争の暴力を再現しなければならなので、実際の出来事の代用として、視覚的衝撃である写真を利用した。未発表である第一次世界大戦の最も衝撃的な写真を入手して、ル・ミロワールに掲載して出版することを可能にした。第一次世界大戦中は、紙不足のためにページ数が少なく、主に写真のを掲載して、価格は25セントで刊行した。第一次世界大戦が1914年7月28日に勃発して1918年11月11日に終結後に、ル・ミロワールは、1920年7月8日からは、写真だけのスポーツ雑誌に変貌した。1939年8月29日発行の1084号をもって休刊した。