2020年2月10日月曜日

日本軍憲兵は、略奪の横行したビルマのラングーンで、収容施設が枯渇して容疑者らを街路樹に縄で縛り付けた。

日本軍がミャンマー(旧 ビルマ)の首都ぶあったラングーン(現在 ヤンゴン)を占領した。日本軍憲兵は、ラングーン市内で略奪犯が横行するために、ラングーン市民も一味と加担したと容疑した。日本軍は収容施設が枯渇したために、1942年3月頃に容疑者らを街路樹に大きな縄で縛り付けられた。その写真の左端には、不許可の印章とその注意事項が記載された。日本軍から熱帯地方の炎天下にさらされて、虐待と虐殺をされた。略奪犯だけでなく、民間市民も無差別に虐待と虐殺された。
  1942年から1945年にかけて、ヤンゴンはイギリス植民地に代わって日本軍による占領を受けて、第二次世界大戦中は甚大な被害を受けた。日本軍は、1942年3月8日にラングーンを占領して、5月末にはビルマ全域を占領した。日本軍のビルマ占領下で、約17万人から約25万人の民間市民が殺害された。連合軍は1945年5月にラングーンは奪還された。
 日本軍によって日中戦争から太平洋戦争に至る新聞記者が取材した写真群が検閲されて新聞に掲載が不許可となった。大阪毎日新聞社には、従軍カメラマンが撮影した写真が、戦場別に資料室に保管されている。陸軍から海軍および内務省から外務省・逓信省などの官憲が検閲して情報操作と情報隠蔽をした。官憲が検閲を通過した写真で都合の良い写真のみを宣伝に転用した。特に戦場の写真は、掲載される直前に再度の検閲を受けた。不許可写真は掲載さえしなければ、再提出や破棄を求められなかった。日本でわずかに残された軍史料の写真となった。