2019年11月13日水曜日

オーストリア軍のレオナード・シフリート軍曹が、日本軍兵士とニューギニア原住民に見物されて、正宗剣の日本刀で斬首刑された。

1943年10月24日午後にニューギニアのアイタペで、日本軍に身体を縛られて、目隠しをされたオーストリア軍のレオナード・シフリート(Leonard Siffleet)軍曹が、日本兵士と原住民の見物人に囲まれて、正宗剣の日本刀で斬首刑された。彼は特殊部隊の通信士であり、ニューギニアで日本軍の背後で隠密するオランダ人のスタヴァーマン軍曹に率いられた長距離の偵察部隊の一員であった。この部隊はアイタペの約100人の村人の裏切りに遭い、村人によりスタヴァーマンは殺害されて、シフリートと2人のアンボン人協力者のレハリンとペート・ウェールは日本軍基地に連行された。アイタペの日本海軍基地司令官の鎌田中将の命令で、彼らは約2週間にわたり尋問、拷問、監禁されて、3人ともに斬首刑で処刑された。日本軍の斬首刑の執行人は、終戦前に死亡した安野近雄という日本軍兵士であった。シフリートらは縛られ目隠しをされて、日本人と地元の見物人の群衆の前にひざまずき、地面に押しやられて、斬首された。
 シフリートらの死体は満潮線よりも低いアイタペの浜辺に葬られた。彼の死体はその後には発見できなかった。日本軍兵士によって安野近雄が処刑剣を振るうシフリートの斬首処刑の写真(右)は、1944年4月にアメリカ軍によって、ホーランジアに侵攻した際に、オランディア近郊で戦した日本軍少佐の遺体から発見された。日本軍の捕虜取り扱いの残虐性を例示するため、シフリートの斬首刑の写真はすぐにアメリカの新聞や出版物、さらにオーストラリアの出版物で公開された。オーストラリアでは長年にわたり、この写真(右)は1943年3月29日にニューギニアのサラモアで処刑されたオーストラリア空軍のニュートン大尉を写したものと誤認されてきた。同時に処刑された写真(左)は、日本軍の捕虜となった氏名不詳の連合軍兵士が斬首される瞬間であった。戦後に、安野近雄は死刑を宣告されたが、部下の行動として10年間の懲役に服した。