2019年6月19日水曜日

ドイツ軍によるレニングラード包囲戦にて、3歳の少女レローチカはパンを一口食べて家族が見守る中で餓死した。

吹雪のレニングラード包囲戦にて、3歳の少女レーロチカは1942年2月28日にパンを一口食べて家族が見守る中で餓死した。配給されたパンは次第に小さくしぼんで、ワレリア愛称レーロリカはやせ細って行った。苦しみながら一口のパンを食いちぎり絶命した。1942年2月から下肢が萎縮して、起き上がれなくなり、衰弱した。死後に形見の食残したパンが戦争の真実の遺産として、戦後に第90専門学校に残された。ラスク型のパンには、一口食べた跡が残った。
 第2次世界大戦にて、ソビエト連邦のモスクワに次ぐレニングラードは、ナチスドイツ軍に1941年9月8日から1944年1月8日まで、約872日間にわたり一方的な侵攻により包囲され封鎖された。昼夜にわたる空爆から砲撃により、レニングラード市民は飢餓と極寒による栄養失調などで約632,000人が死亡した。包囲戦の戦死傷者などを含めると約100万人にも達した。レニングラードは9月2日に非常事態措置で、1日あたり労働者は約600g、子供は約300gとなった。11月20日から労働者は約250g、子供は125gと約3月間で約3分1まで削減された。11月下旬から配給も不定期となった。暖房も切れて、零下約30土以下まで極寒となった。レニングラード中に、餓死した死体が散乱した。死体は11月に約15,000人、12月になると約55,000人に達した。木の皮、雑草、壁紙まで、なにでも口に入れた。あちこちで餓死になり、精神的に追い込められて人間性までを失って、市民はぼんやりと眺めるだけに陥った。