2018年3月16日金曜日

イギリスのインド兵士が、天津で義和団の農民を虐殺して、白河の川辺に散乱した死体に整列した。

清国にて、日清戦争の敗北から農民が排外主義により反乱した。1899年と1900年には中国北部で扶清滅洋を掲げて、外国人宣教師、国民、中国人キリスト教徒を攻撃して虐殺した。清国の西太后も乗じて賛同して、1900年6月21日に列強8ヶ国に宣戦を布告した北清事変が勃発した。これに対して、イギリス・アメリカ・ドイツ・フランス・オーストリア・イタリア・ロシア・日本の8ヶ国連合軍が共同で出兵して、天津に上陸から北京に入り義和団を鎮定した。イギリス軍は連合軍の中で3番目の約12,000人規模 (1番日本軍約2,100人、2番ロシア軍約13,00人)であったが、大部分はインドからで傭兵であった。インド兵士が、天津で義和団の農民を虐殺して、白河の川辺に散乱した死体に整列した。


2018年3月16日 Japan No War (Nonfiction) 

日本平和の市民連盟 視聴回数 100,000回