2021年9月14日火曜日

アメリカ軍の無差別の空襲に巻き込まれたアフガニスタン人母親と4人の子供、その他の家族8人の一同が爆死して、身内により多数の死体は布で包まれて死体処理された。

アメリカ軍の爆撃機が、アフガニスタンのカブールを2001年10月21日に爆撃した。無差別の空襲に巻き込まれたアフガニスタン人母親と4人の子供、その他の家族8人の一同が爆死した。身内や親戚のアフガニスタン人が、多数の死体を布で包んで、死体処理をした。有志連合軍は、10月7日から空爆を開始した。アメリカ軍はアメリカ本土やクウェート、インド洋のディエゴガルシア島、航空母艦から発着する戦闘機やミサイル巡洋艦を動員して、アフガニスタンに対して約1万2000発の爆弾を投下した。アメリカ軍は軍事目標だけでなく、実際には投下した爆弾の約4割は非誘導型爆弾であり無差別にアフガニスタン民間人に甚大な犠牲が出した。

 イスラム原理主義のアルカイダ国際テロ組織が、2001年9月11日に4機の旅客機をハイジャックして、2機がニューヨークの世界貿易センタービルと1機がワシントンDCのペンタゴン、1機がペンシルバニア州シャンクスビルの野原に激突した。テロ攻撃で約3,000人近くが殺害された。アフガニスタンはアルカイダの拠点であるが、19人のハイジャック犯は誰もアフガニスタン人ではない。エジプト人のモハメド・アタが率いたハイジャック犯のうち15人はサウジアラビア出身であった。ジョージ・W・ブッシュ大統領はテロとの戦いに勝つことを宣言して、タリバン政権にアフガニスタンのアルカイダとオサマ・ビンラディンの引き渡しを要求した。

 ブッシュ大統領は、9月18日にアメリカに攻撃した者に対する武力行使を認める共同決議に署名して、テロと戦うための大規模な措置を取る際の法的根拠となった。10月2日にNATOが集団自衛権を発動して、直ちに10月7日にイギリス軍の支援を受けたアメリカ軍がタリバン軍に対する爆撃から不朽の自由作戦が公式に開始され、アフガニスタン戦争が勃発した。カナダ、オーストラリア、ドイツ、フランスが今後の支援を表明した。戦争の初期段階では、主にアルカイダとタリバン勢力に対するアメリカ軍の空爆が行われた。約1,000人のアメリカ軍特殊部隊、北部同盟、パシュトゥーン族の反タリバン勢力の協力を得て侵攻した。地上軍の第一陣は10月19日に到着して、反タリバン勢力とタリバン政権を攻撃した。

 2001年11月9日に、マザーリシャリフで、ウズベク人の指導者アブドゥル・ラシッド・ドスタムに忠誠を誓った軍に敗戦したタリバン政権は早期に崩壊した。次の週には、連合軍と北部同盟が、タリバン(11月11日)、バミヤン(11月11日)、ヘラト(11月12日)、首都カブール(11月13日)、ジャララバード(11月14日)に攻勢を立て、タリバンの拠点は崩壊した。2001年11月14日に、国連安全保障理事会は、暫定政権の樹立に国連が中心的役割をなる決議1378を採択した。平和維持軍を派遣して、安定と援助の促進する加盟国に要請した。

 アフガニスタン軍民兵は、アルカイダのオサマ・ビンラディンを、カブールの南東にあるトラボラ洞窟群まで追跡した。アルカイダの武装勢力と約2週間の激しい戦闘を12月3日から12月17日まで展開した。アメリカ軍は攻撃を指揮せずに、ビンラディンは12月16日にパキスタンに逃亡した。ハミド・カルザイ暫定政権を設立して、首都カブールの治安を維持する国際平和維持軍を創設した。12月15日のボン合意に続き、12月20日には国連安全保障理事会は決議1386号を採択して、国際治安支援部隊(ISAF)が創設された。タリバン軍のカンダハールで降伏し、タリバンの指導者ムラー・オマルが逃亡して、2001年12月9日にタリバンが公式に崩壊した。