2019年2月9日土曜日

第2次リベリア内戦により、テーラー政権に反武装勢力LURDはモンロビアに3度の攻撃をして、身の毛もよだつ残酷な内戦となった。

第2次リベリア内戦が勃発して、1999 年頃から武装勢力のリベリア民主和解連合(LURD)やリベリア民主運動(MODEL) のが蜂起し勢力を拡大した。2003年の初めにLURD から分離したMODEL がリベリア南東部地域を支配した。内戦による新たな虐殺、 略奪、レイプの暴力の嵐が、その地域を席巻した。戦闘は続き首都モンロビアに近づき、2003 年には首都モンロビアへ侵攻した。
 殺人とレイプの渦が巻き起こり、町中で激しい戦闘が勃発した。何日もの砲撃により多くの建物が炎上して、がれきやゴミ、壊れた家具の破片などが歩道に散らばった。どの家も、どの店も、略奪され破壊された。人々は弾丸の薬きょうのカーペットの上を走って逃げ、犠牲者を手押し車や背中に載せて運んだ。シエラレオネとギニアに続く道路、モンロビアから西に向かう道路は封鎖された。
 国連安全保障理事会のアナン事務総長はアメリカに介入を依頼した。8月14日、反政府勢力はモンロビアの包囲をやめ、アメリカ軍がアフリカの平和維持軍を支援するため上陸した。3日後、LURD、MODEL、テーラー政権が「アクラ包括和平合意」を締結した。2003年10月に暫定政府が発足して、2005年に暫定政府の下で11月8日の大統領選で、11月8日にアフリカ初の選挙によるサーリーフ女性大統領が誕生した。