2018年4月19日木曜日

第4次中東戦争で涙の谷にてシリア軍との戦闘で、イスラエル機甲師団は戦死した兵士の死体を、戦車から引き出して確保した。

第4次中東戦争が、エジプトとシリアが第3次中東戦争の失地回復のため、1973年10月6日にイスラエルに先制攻撃をかけて勃発した。イスラエルは贖罪日(ヨム・キプール)で、対抗が後手になった。エジプト軍はスエズ運河とシリア軍はゴラン高原から侵略した。イスラエル空軍と機甲師団は大打撃を受けた。イスラエル軍は10月9日から反撃をして、シリアとの北部戦線から集中的に侵略した。イスラエル軍は、シリア軍とモロッコ・サウジアラビア・イラクの応援軍を撃退して、ゴラン高原を再占領した。その涙の谷の戦闘で、イスラエル機甲師団は戦死した兵士の死体を、戦車から引き出して確保した。イスラエル軍はシナイ半島も10月15日からの反撃で、16日にはスエズ運河を逆渡河して西岸の一部を占領した。国際社会による調停で10月23日に停戦となった。10月17日にアラブ石油輸出国機構(OAPEC)がイスラエルを援助する非友好的な西側諸国に石油供給の段階的削減を決定して、原油価格が急騰して第一次オイルショックに至った。両国の平和認識に変化が生じて、エジプトとイスラエルは交渉して1978年9月のキャンプ・デービッド合意の平和に繋がった。