インドネシア政府軍は、軍事作戦地域(GOM)としたスマトラ島北部のアチェ州のバユ郡で、自由アチェ運動(GAM)の武装勢力と戦闘した。インドネシア軍は、戦闘で殺害したGAMの一味の死体を木に縛り付けて運搬して排除した。GAMに対して、1999年2月に約28人の虐殺、5月に約46人の虐殺、7月に57人の虐殺など大規模で市民を含めた無差別な虐殺事件が頻発した。2003年から2004年にかけて、GAMに対してインドネシア軍は戒厳令下で大規模な侵攻をして、GAMは甚大な損害を受けた。
1976年から2005年にかけて、インドネシア対する分離独立を求める自由アチェ運動(GAM)により、約15,000人以上のアチェ人が虐殺された。GAMは、GAMⅠ(1976-1979)、GAMⅡ(1989年-1991年)、GAMⅢ(1999-2002年)は3段階にわたり変遷した。GAMⅠでは、大規模天然ガスの利権をめぐり闘争するも小グループで支援もなく一掃されて鎮圧された。GAMⅡでは、リハビアとイランからの資金援助されて約1,000人規模の武装勢力となって、アチェはGOMに指定された。GAMの一味の疑いある村は全焼されてたり、家族は連行されて拷問を受けて、約10,000人が虐待と虐殺の犠牲者となった。GAMⅢは、1998年にインドネシア政府の政権交替により、インドネシア軍が撤退後から、GAMの反政府運動が活発化して、約27,000人規模となって大規模な紛争を引き起こした。
インドネシアのスマトラ島北部アチェ州で、同国からの分離・独立をもとめるアチェ人の独立運動が1953年から勃発した。インドネシア共和国は、アチェをイスラム法に基づく自治区として、1949年12月にアチェ州が設置された。1950年8月に、オランダの植民地の統合を済ませたインドネシア共和国は、1950年8月に州再編を行い、アチェ州を北スマトラ州に併合した。アチェ人の武装勢力は、1953年にインドネシア共和国から離脱し、ジャワ島西部を中心にインドネシア・イスラム国を目指した。1960年にインドネシアの反スカルノ勢力によるインドネシア統一共和国に参加した。1961年にインドネシア統一共和国が鎮圧されて、アチェ・イスラム国として再び抵抗運動をして、1963年にアチェ特別州に統合された。1976年に自由アチェ運動(GAM)が結成されて、アチェ・スマトラ国として武装闘争した。インドネシア軍が、1979年にGAMは一旦は鎮圧されたが、1989年からアチェは特別軍事作戦領域(GOM)に指定されて戦闘が再燃した。2004年12月のスマトラ沖大地震により、アチェは津波で壊滅的な震災を受けて、2005年にアチェは平和合意で武装解除して独立運動は終結した。