第2次世界大戦のドイツ軍とロシア軍はウクライナのケルチで激戦となった。黒海とアゾフ海を海峡に面した激戦地ケルチにて、ナチス・ドイツ軍は1941年12月に無差別な地域住民を含めた大量虐殺をした。
「文書USSR-63」と呼ばれるニュルンベルク裁判で「ケルチ市におけるドイツの残虐行為に関する臨時国家委員会法」から公表の一部:ケルチ市の人々は家族全員が死に至る運命になった。 ソ連の赤軍はケルチに1942年1月を占領した時に、長さ4メートル、幅4メートル、深さ2メートルを超えたバゲロフスキー溝を調査した。その溝の中に、女性、子供、老人、10代の若者も含めた死体があふれていた。 溝の近くには血液を凍結したプールもあった。 子供用の帽子、おもちゃ、リボン、引き裂かれたボタン、手袋、乳首の瓶、靴、腕と足の切り株のついたオーバーシューズ、その他の身体部分もあった。それらには血液や脳みそが散乱していた。ファシストであるナチス・ドイツ軍は、無防備な集団を爆発的な弾丸で射殺した。合計で約7,000もの死体がバゲロフスキー溝から発掘された。
1941年から1945年の第二次世界大戦の期間中に、ケルチはソ連の赤軍とナチス・ドイツ軍の激戦場となった。1941年11月にドイツ軍に奪われて占領されるが、12月30日にはソ連軍が海岸から上陸してソ連軍が奪還した。しかし1942年5月19日には、ドイツ軍は再びケルチを占拠した。ケルチ半島の戦いでのソ連の赤軍側の死者・捕虜は約16万人以上にも及んだ。1943年10月31日に新たに上陸が開始されて、最終的にケルチが1944年4月11日に解放された。しかし、ドイツ軍によりケルチ市民の約15,000人が殺害、約14,000人が別の土地に移送されていた。ケルチでのドイツ軍の暴虐は戦後のニュルンベルク裁判で明らかにされた。
ケルチは、クリミア半島に位置し、黒海とアゾフ海を結ぶケルチ海峡に面した都市である。2014年2月27日にロシアによる2014年3月1日にクリミア半島に侵攻して実効支配された。ロシア軍占領下で2014年3月16日に実施された住民投票を受けて、ロシアはウクライナ領クリミア自治共和国およびセヴァストポリ市の独立を承認して、クリミア政府がロシアに編入する条約を結んだ。ロシアがソ連の崩壊後から独立した国家の領土を初めて併合した。ロシアへのクリミアの編入以降は、ウクライナに代わりロシアが実効支配している。ウクライナと国連はクリミアの独立とロシアへの編入を認めていない。