2019年3月11日月曜日

イラク戦争で、被弾した車から放り出されて腐敗した死体と運転席に残ったままの腐敗した死体が残存した。

アメリカ軍は2003年4月5日からバクダットに侵攻した。4月7日に道路脇には、黒焦げになったタンクローリー2台、大型トラック2台、バス1台などが点々とし、乗用車も残骸を残していた。タンクローリーの周辺には死臭が漂っていた。大破した車の陰に、放置されていたイラク人の死体の周りに、数人のイラク人が取り囲んでいた。
 アメリカ軍は、イラク人に死体の回収をすることを禁止していた。乗用車が中央分離帯に突っ込みガードレールの上に乗り上げてしまった。車から放り出された死体と運転席に残ったままの死体が残存していた。乗用車はあまり潰れていないので、直接の死因は被弾と推定された。乗用車から放り出された死体は、ガードレールの下で死臭が漂よいながら腐敗して膨大した。路面とレールの間に死体が食い込み取り出す処理が困難であった。ドライバーの死体も腐敗して膨大して死臭を出して車外に取り出し困難であった。イラク死人の関係者も、路肩に棺桶を用意して、埋葬する穴も掘られたが、全く死体を運び出せず、周りのイラク人は次第に立ち去った。
 アメリカ軍は国際連合の決議を無視して、2003年3月17日にバグダットに先制の空爆した。3月19日からイラクの自由作戦を実施してイラク国内に侵攻した。4月5日からバグダットにはアメリカ軍が侵攻して、4月8日にバグダットは陥落した。5月1日に戦闘終結宣言した。
 イラク軍の残党、イスラム過激派、テロリストがイラク内戦に参入した。爆撃装置、地雷、自爆、狙撃、自動車爆弾などの攻撃をした。アメリカ軍と有志連合軍は、厳しく危険な内戦に巻き込まれた。2011年末のアメリカ軍の駐留軍隊は完全に撤退するまで攻撃を受けた。混乱化は、2013年末からイスラムの新しい過激派であるイスラム国(ISIS)がイラク国内を侵略した。