2023年9月3日日曜日

ウクライナ領土防衛の志願兵で、3人のうち最年長の52歳だった息子のユリイ・シキリスキーが戦死した死体の棺の傍らでは、78歳の母親ウリアナが悲しみに打ちひしがれ、何度も何度も屈んで磨き上げられた木に顔を寄せていた。

ロシアのウクライナ侵攻で、激戦地のバフムト近郊で戦死したウクライナ軍兵士の葬儀が2023年6月22日に挙行された。ウクライナ領土防衛の志願兵で、3人のうち最年長の52歳だった息子のユリイ・シキリスキー(Yuriy Sikyrynsky)が戦死した死体の棺の傍らでは、78歳の母親ウリアナ(Uliana)が悲しみに打ちひしがれ、何度も何度も屈んで磨き上げられた木に顔を寄せていた。















Warning: Uliana rests her head on the casket of her son. (Marcus Yam / Los Angeles Times)

   

   葬儀は6月22日にウクライナのリヴィウの聖ペテロ・パウロ駐屯教会にて、無言の弔問客が列をなしして、石畳の道を、喪主によって4つの棺が運ばれた。教会の中で、薄明かりに照らされた反響の中で、4人の名前が唱えられた。4つの新しい死者の墓が、古い死者を押しのける墓地に、粘土のような土から切り出された。郊外の18世紀のネクロポリスのリチャキフ墓地は、あらゆる時代の死者で埋め尽くされた。2022年4月以降で、約417基の墓の列が増設された。

 ウクライナ軍のロシア軍の侵攻に対する反攻は、両軍に多大な犠牲を強いた。犠牲者数は公表されず、戦闘がすぐに終わらない。4人の死者はもちろん大海の一滴にすぎない。国家の存亡をかけて、逃げ出すことのできない戦いで、終りが見えない。

 ウクライナ西部リヴィウ州の州都リヴィウは、何世紀にもわたり支配者が変わった。オーストリア=ハンガリー帝国の前哨基地で、後に隣国ポーランドの一部となり、第二次世界大戦後にソ連の支配下になり、1991年にウクライナとして独立した。リヴィウの部隊は、最も激しい戦闘のウクライナ南部や東部に配備された。遠くの戦闘で戦死した兵士の死体は、帰還までに数日、数週間、数カ月かかった。傷ついた死体は、DNA鑑定で身元を確認した。遠隔地や激戦地で、死体の輸送が遅れた。さらに死体を回収するために、ロシア軍とウクライナ軍で定期的に死体交換が行われた。

 ウクライナ東部ドネツク州のバフムトの戦いで戦死したウクライナ軍兵士のドミトロ・レベディエフ(Dmytro Lebediev)とスタニスラフ・シュモルグン(Stanislav Shmorgun)の葬儀はリヴィウの聖ペテロ・パウロ駐屯教会で行われた。ウクライナ人の弔問客は、戦死したウクライナ軍兵士に弔意を表した。











Warning: Mourners pay their respects to soldiers Dmytro Lebediev and Stanislav Shmorgun, both of whom were killed near Bakhmut. The funeral was held at Saints Peter and Paul Garrison Church in Lviv. (Marcus Yam / Los Angeles Times)