2021年5月27日木曜日

第二次世界大戦にて、北極圏に近いフィンランドの雪道で、冬季にもかかわらず、不適切なほど薄い軍服であったソ連軍兵士が積雪の上で凍りついて戦死した。

第二次世界大戦の東部戦線にて、北極圏に近いフィンランドの雪道で、ソ連軍兵士が積雪の上で凍りついて戦死した。フィンランドの戦いでロシア軍の軍服は、ヨーロッパ史上で最も厳寒の約−43°Cとなった冬季にもかかわらず、不適切なほど薄い軍服であった。日光が数時間しか続かず、厳寒で雪に覆われた森で、猛吹雪と吠える風で露出した身体は凍傷になり、死体の山は数分で凍り、レンガの壁の堅固さを獲得した。凍死は、震えが止まり、低体温症に陥った後に、居眠りするまで臓器がゆっくりと停止する。死体はしばしばレンガの固さに凍りついた。
  ヒトラーのナチス・ドイツ軍がポーランド侵攻から、次の一撃を待っている間に、スターリンのソ連軍は自らの手でフィンランドに一撃を加えることにした。冬戦争と呼称されたソ連・フィンランド戦争は、第二次世界大戦の勃発から3か月後の1939年11月30日にソビエトがフィンランドに侵攻したことから始まった。約3か月半後に1940年3月13日にモスクワ講和条約で終結した。スターリンのソ連は、1939年11月30日の早朝に、戦闘機と戦車隊をフィンランドに侵攻して、その翌日の12月1日には辺境の町に、フィンランドの傀儡政権を樹立した。意外なことに、ソ連の赤軍の作戦は、電撃的なものではなかった。気まぐれな独裁者であるスターリンは、二流の軍隊と装備で、フィンランドを侵略できると考えた。約2ヶ月以上の戦闘の期間に、すべての連合軍は、約400万人の小さな国であるフィンランドが、約1億8千万人の超大国のソ連に勇敢に立ち向った。連合軍は、1940年3月31日にフィンランド軍は悲劇的な犠牲を伴って、あたかも戦勝したかのような戦況に興奮して歓声を上げた。フィンランド軍の犠牲は、約24,923人が戦死、約43,557人が戦傷、約1,000人が捕虜となった。ソ連軍の犠牲は、約126,875人が戦死あるいは行方不明、約26,4908人が戦傷、約5,600人が捕虜となった。
 連合軍には、フィンランド軍を助ける現実的な戦略を持っていなかった。ソ連の赤軍がついに本格的な攻撃が勃発したときには、フィンランド軍は、冷酷な効率性で粉砕された。1940年2月に、ソ連軍は最大の砲撃に続けて猛攻撃を再開して、カレリアン地峡で、フィンランドの防御を突破した。フィンランド軍は弾薬が少なく、危機に瀕して、3月の和平条件に合意した。しかし、ヒトラーのナチス・ドイツ軍は、この約2ヶ月間にソ連軍の無能ぶりを、フィンランドの森の悲劇的な幕間に目の当たりにした。ソ連軍の実力を過小評価して、ナチス・ドイツ軍にとってソ連に侵攻する東部戦線は悲惨な結果を招いた。冬戦争から休戦期間の約15か月後の1941年6月22日に、ナチス・ドイツはバルバロッサ作戦を開始して、フィンランドとソ連の冬戦争が継続された。