国民防衛軍事件は、朝鮮戦争中の1951年1月に、韓国の国民防衛軍司令部の幹部らが、国民防衛軍に供給された軍事物資や兵糧米などを横領した事件である。不正により9万名余りの韓国軍兵士が餓死したとされる。1951年4月30日、国会は国民防衛軍の解散を決議し、5月12日に解体された。7月19日に中央高等軍法会議が開かれ、司令官の金潤根と副司令官の尹益憲と会計・調達・販売課長など5人に死刑判決された。8月12日に大邱郊外の端山で銃殺刑が執行された。李承晩政権は当事者だけを罪人に仕立て、速やかに粛清して、幕引きされて隠蔽して終結した。
国民防衛軍は、1950年12月21日の国民防衛軍設置法に基づき、学生でない14歳以上から40歳未満の第2国民兵の該当者を強制的な徴兵によって組職された韓国の軍事組織である。韓国政府は約50万人の兵士を徴兵して、約51個の教育連隊に分散・収容して国民防衛軍を編成して韓国軍を補強した。1951年1月4日に北朝鮮・中国両軍の攻勢を受けた韓国軍は、1・4後退と呼称する戦線から後退を敢行した。約50万人余りの国民防衛軍の兵士は、軍務が乏しい司令部の命令により、後方の大邱や釜山へと集団で強制移動させられた。国民防衛軍の司令部は、軍歴の無い白色テロ組織である青年団幹部で構成された。
極寒の中を徒歩で後退する兵士に対して食料・野営装備・軍服などの物資供給の欠乏により、約9万名余りの餓死者・凍死者と無数の病死を出す「死の行進」の国民防衛軍事件となった。生存者の約80%の約20万人が切断などの重度の身体障害者となった。1951年1月30日に国会で国民防衛軍を約50万人と推定して、3ケ月分で約209億ウォンの予算を策定した。国会調査で、兵員数の水増しにより国庫金から約23億ウォン、糧穀が約5万2000石が着服・横領されて、食料品費の計上額と実際の執行額・調達額の差が、約20億ウォンに上ることが明らかとなった。着服金の一部が、李承晩大統領や国会議員の政治資金と賄賂して使われた。国連からの救援物資も、国民防衛軍は韓国正規軍でないので、割当はなかった。
1950年12月時点で韓国軍は、北朝鮮軍の奇襲攻撃を受けて、洛東江戦線で兵力の約45%を損失した。さらに1950年3月の徴兵制廃止により兵員招集ができない状況にあった。仁川上陸作戦で有利な戦局も、10月19日の中国義勇軍の参戦によって悪化し、長津湖の戦いから国連軍は北朝鮮からの撤退していた。1951年1月4日には、北朝鮮軍と中国義勇軍がソウルを再奪還して、1・4後退から国民防衛軍は南方に死の撤退に向かった。
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