2020年6月6日土曜日

沖縄戦において、アメリカ軍は、日本軍により飢餓状態に追い込まれた瀕死の多数の沖縄住民を捕獲した。

アメリカ軍は、1945年6月14日に飢餓状態にあった瀕死の多数の沖縄住民を捕獲した(RG, Series Item: 127-GW-601-124942: 沖縄県公文書館)。日本軍は沖縄住民を飢餓に追い込みアメリカ軍に敵対させた。アメリカ軍は1945年6月14日に糸満のアブチラガマを攻撃した。アブチラガマは、アプ(深い縦の洞穴)・チラ(崖)・ガマ(沖縄方言で洞窟やくぼみ)が、沖縄本島南部の南城市玉城字糸数にある自然洞窟が散在していた。沖縄戦において、もともとは糸数集落の避難の指定壕であったが、日本軍は陣地壕や倉庫として占領して、戦線が沖縄本島を南下するにつれて南風原陸軍病院の分室となった。軍医、看護婦、ひめゆり学徒隊などが配属され、全長約270mのガマ内には約600人以上の負傷兵で埋め尽くされた。1945年5月25日の南部搬退命令により病院が6月2日に搬退した後には、糸数の沖縄住民と生き残り負傷兵、日本軍兵士の雑居するアブチラガマ状態となった。6月6日から、地下壕・地下洞窟を出入口を封鎖して、天井の地面から馬乗り攻撃をした。その後も、アメリカ軍の攻撃に遭いながらも一部は生き残り、1945年8月22日のアメリカ軍の投降勧告に従って、沖縄住民と日本軍負傷兵らがアブチラガマを這い出て降伏した。
 1945年6月14日時点で、アメリカ軍は、国吉丘陵で日本軍陣地を次々に占領した。日本軍は国吉丘陵の間のアメリカ軍の陣地がある69高地に向けて絶え間ない猛烈な攻撃かけた。アメリカ軍は前線に補充物資と部隊の派遣は困難となった。アメリカ軍は、沖縄諸島の周辺離島である長島にも上陸して、日本軍兵士を約117人を殺害して直ちに占領した。アメリカ軍は小禄半島の孤立した日本軍陣地を掃討した。新垣の付近の日本軍の洞窟内に隠した対戦車砲台を破壊した。与座岳の断崖に潜伏した日本軍に対して猛烈な砲火をした。夜間にアメリカ軍の前線に突撃する日本軍の切込み隊の約129人の日本軍兵士を殺害した。日本軍の守備の抵抗力が減弱して、八重瀬岳の断崖の日本軍司令部は砲撃されて、日本軍兵士は甚大な犠牲を伴って占領された。約500人の日本軍の予備部隊が、波状砲撃を受けて約300人以上が戦死傷した。アメリカ空軍は、常時に偵察して援護の地上空爆をした。沖縄戦における1945年6月14日までの日本軍の犠牲は、戦死者は約77,719人、捕虜は日本軍兵士が約953人、保護した沖縄住民は約173,431人に及んだ。