2018年11月18日日曜日

フランス軍兵士は国民解放戦線のゲリラ軍(フェラガ)と容疑してアルジェリア人をカビリア山間で射殺して死体を検証した。

アルジェリア戦争において、フランス軍兵士は国民解放戦線のゲリラ軍(フェラガ)と容疑してアルジェリア人をカビリア山間で射殺した。射殺してから死体の検証をして、証拠として財布の中の国民解放戦線の旗の絵柄を見つけてからフェラガであるとして断罪した。2人のフランス軍兵士がアラブ人の死体を探索して、ゲリラ用のブーツと幼稚な旗の絵から、アラブ人集落にて射殺して、フェラガに間違いないと断定して死体を埋めずに放置した。
 アルジェリア戦争は、1954年11月1日の民族解放戦線(FLN) によるテロ行為(蜂起) による30件の襲撃から始まり、1962年3月18日のエヴィアン協定の締結 を経て停戦に至った武力紛争である。アルジェリアは1830 年からフランス本土の内務省の管轄下にあった。アルジェリア戦争には約40万人の職業軍人に加えて約150万人の若者が召集され、戦死者は約2万4267人、戦傷者は約6万5000人と推定された。他方アルジェリアの国民解放戦線の軍事組織(ALN)兵士の死者は約14万1000人に達した。
 アルジェリアにいたフランス軍人の一部はアル ジェリアの独立にあくまで反対し、秘密軍事組織(OAS) を 結 成し、テロに訴えてアルジェリアの独立を阻止しようとした。アルキは、現地でフランス軍に雇われたムスリムの補充兵をいう。彼らは最後までフランス側についたために、アルジェリアの同胞からは裏切者と見られ、FLN により虐殺されるという悲惨な目に遭っている。
 アルジェリアがフランスに地理的に近く、多くのヨーロッパ系入植者がおり、独立戦争時にはアルジェリアのみならず、フランス本 土でもテロなどが勃した。が見られた。フランス本土でも、アルジェリアでも多くの人々の心に植民地支配と独立戦争は傷を残した。とりわけ独立戦争に敗れたフランス政府にとってアルジェリアとの過去を振り返ることは、あまりにも多くの人の感情を刺激するため困難だったと推測できる。