2017年3月23日木曜日

北アフリカのアラブの春から逃避したボート難民の溺死

北アフリカで2010年10月28日から始まったアラブの春の国内内戦から逃れるためにリビアからのボート難民らが地中海のマルタ島を目指すも密国集団船が難破して溺死した死体が引き上げられる。



2017年3月21日火曜日

長い戦争から平和の再会で初めて夫婦が抱き合う

日本が第2次世界大戦に敗戦して1945年まで7年間も過ぎてから初めて夫婦が再会した。約2000人の第1次復員兵である主人と出迎えた妻が平和との再会に嬉し涙で抱き合う。




2017年3月20日月曜日

ナチス・ドイツ軍によるコソボ占領のためにセルビア人の大量虐殺

ナチス・ドイツのスカンベルク軍団は第2次世界大戦末期の1945年1月にバルカン半島のコソボの占領のため多数のセルビア人を虐殺した。戦後ではキリスト教系セルビア人とイスラム教系アルバニア人の間で1996年から2008年までコソボ民族紛争が勃発した。



2017年3月19日日曜日

世界初の渡海する広範囲な空爆による惨状と犠牲者

日本軍は中国民国の徐州・広徳に対して1912年8月14日に世界で初めて渡海して空爆した。中華民国に空爆地域は拡大して広東市では空爆惨状から犠牲者を救助した。8月24日には欧米各国が空爆の禁止地域を日本に求めた。



2017年3月18日土曜日

内戦の飢餓・結核・マラリアで多くの弱者が絶命する

アフリカのナイゼリアからビアフラ共和国が独立する1967年7月6日から1970年1月12日までビアフラ内戦が勃発した。多くの弱った児童は厳しい飢餓だけでなく結核やマラリアに侵されて輸液されるも絶命した。



2017年3月17日金曜日

全員に戦死する命令による日本兵士の集団での突撃死

太平洋戦争のサイパンの戦闘は、1944年7月7日に日本人の約3000人に対して玉砕命令される。地獄谷を出てからタナパグへの最後の突撃をして全員がアメリカ軍により銃殺されて終結した。



2017年3月15日水曜日

ナチス・ドイツ軍による見せしめのソ連市民の絞首刑

第2次世界大戦において1941年6月22日にドイツ軍はソビエト連邦に侵攻した。1941年9月にスモレンスク・ベリッツで見せしめのためソ連の市民らを絞首刑にした。



2017年3月14日火曜日

イラク戦争の植民地化に対抗して反武装勢力がアメリカ軍兵士を銃殺した

アメリカ軍はイラク攻撃を2003年3月19日から開始して5月1日に終戦宣言した。その後も、2004年4月から反政府武装勢力が植民地化に対抗した大規模な戦闘で多数のアメリカ軍兵士が銃殺され戦死傷者が増大した。


2017年3月12日日曜日

バターン半島にて膨大なアメリカ兵等に死の徒歩で虐殺

第二次世界大戦中の1942年4月にフィリピンのバターン半島にて日本軍は捕虜にした約1200名のアメリカ兵士や約16000人の捕囚に長距離の徒歩させ暴行しながら虐殺した。



2017年3月11日土曜日

傷心身した従軍慰安婦の最前線からの逃走と収容

日中戦争の末期にて戦争の最前線まで連行された妊婦も伴う従軍慰安婦たちは、日本軍の敗走から取り残されて逃走して、敗戦時には収容所へ1945年9月3日に連行された。


2017年3月10日金曜日

戦争末期に玉砕するため突撃した日本兵士の遺体群

太平洋戦争の末期の硫黄島の戦闘にて1945年3月25日に最後に玉砕するためにアメリカ軍へ突撃した日本人兵士が火炎死と銃殺死した遺体群






2017年3月9日木曜日

日清戦争で平壤に散在する清国兵士の遺体

日清戦争にて1894年9月15日の朝鮮半島の平壤の城東地区の戦闘において2000人も戦死した清国の兵士の死体が散在した。


2017年3月7日火曜日

ナチス・ドイツの親衛隊(SS)の収容所連隊による大量虐殺

ナチス親衛隊中将のテオドール・アルケは1932年3月から1336年4月まで最古であるダッハウ強制収容所長となった。1934年7月からは全強制収容所の長官となった。ブランデンブルク連隊に命じてブウォツワベクの近郊でユダヤ人やボーランド人に対して大量虐殺を行った。


2017年3月5日日曜日

第一次世界大戦は無理矢理な正面衝突で悲惨な膨大な戦傷者を出す

第1次世界大戦の西部戦線にて、1916年2月21日から12月16日までフランスのヴェルダンでフランス軍とドイツ軍が激突する。悲惨な死傷者が続出し約70万人にも達した。障害物のない平地を突破するフランス兵はドイツ軍の機関銃の標的になり多数が戦死した。無理矢理に同数で同質で正面から相互に突破を繰り返させ両軍ともに死傷者が続出した。





2017年3月2日木曜日

満州にて馬占山の自衛軍団と関東軍の戦闘で多数の戦死者

 満州事変が1931年9月18日の南満州鉄道の爆破で勃発し、日本の関東軍が満州占領に侵攻した。張学良に任命された馬占山は、1931年11月初旬に日本の関東軍と黒竜江省の大興で激しい戦闘となった。満州の軍団はゲリラ戦で自衛するが多数が戦死した。