2021年7月4日日曜日

カンボジア内戦にてソム・ラングで、路店で若い夫が内戦に巻き込まれ砲撃で殺害され、死体の側で若い妻がうめくように慟哭した。

カンボジア内戦にてソム・ラングで、1998年1月13日の夕方に路店で若い夫が内戦に巻き込まれて殺害された。砲弾が直撃して即死した夫の死体が地面に仰向けに横たわった。無差別な砲撃により、若い夫の上半身には切り裂かれた深い傷跡から出血していた。その死体の側で、若い妻がうめくよう泣いて、涙を流した。若い妻は、周囲のカンボジア人に対して、「夫の指から、指輪をはずして」と震えながら訴えた。結婚してもまだ新婚の時期でもあった。若い妻は、周囲のカンボジア人に夫の指から指輪をはずしてもらった。妻は夫の指輪を手のひらに握り、大声で泣き続けた。

 フン・セン軍は毎日のように攻撃して、ラナリット軍が抵抗していた。突然に、ラナリット軍がフン・セン軍が駐屯するソム・ラングに砲撃した。住民は、砲撃の中てで直ちに庭先に穴を掘って、まず子供たちを穴中に入れて、住民たちは身を屈めた。金持ちや上級国民だけは、国外に逃避できたが、戦場に弱い立場の市民らは取り残された。仏教徒である市民は、内戦を恐れて寺院に集まっては平和を祈っていた。無差別な砲撃は、病院にも達して、医療関係者も立ち去った。負傷兵は戦場から引き戻すも、死体は放置された。地域の火葬場では、1日中死体が燃やされ続けた。侵攻する軍隊の貧しい兵士が、地域の民家からも略奪して、カンボジア市民が犠牲となった。激しい内戦中は、ラナリットもフン・センら上級幹部は、国外に避難していた。

 1997年7月5日にカンボジアの本格的な内戦が再び勃発してフン・セン軍が首都プノンペンのラナリット軍に侵攻した。直ちにタイとの北西部の国境の近隣まで戦場が拡大した。多くの市民が内戦に巻き込まれて犠牲となった。ベトナム戦争中の1970年3月に、親米派のロン・ノル軍事政権が樹立されて、クメール・ルージュのポル・ポト軍とロン・ノル軍が内戦で激突して全土に拡大した。無差別な爆撃と腐敗によりロン・ノル政権は崩壊した。1975年4月にポル・ポト政権が樹立した。都市住民の農村への強制移住・私有財産の停止・寺院や学校閉鎖して、約100万人ものカンボジア人が虐殺された。1982年に、シアヌーク派・ポルポト派、ソンサム派の連合政権が樹立された。タイ国境の連合三派とヘン・サムリン派の内戦が継続した。1993年に、国連カンボジア暫定機構(UNTAC)が主導してカンボジアで四派による総選挙が実施され、ポル・ポト派は離脱した。1995年にフンシンペック党のラナリット派と人民党派のフン・セン派の対立が激化して、爆弾テロが頻発した。1997年に、二派が対立して再び内戦に突入した。1998年に第2回国民議会選挙でフン・セン連立政権が樹立された。それ以後は第3回(2003年)、第4回(2008年)、第5回(2013年)、第6回(2018年)国民議会選挙にて、フン・セン政権が再選が継続して長期独裁政権が継続している。