2020年11月16日月曜日

鎌倉事件が、1864年11月12日に相模国鎌倉郡大町村でイギリス人士官2名が、日本の武士に斬殺された。外国人殺傷事件で初めて犯人が逮捕、処罰された初の事例となった。間宮一が横浜の吉田橋で断頭されて晒し首となった。主犯の清水清次も同様に晒し首となっていた。

1864年11月21日に鎌倉大仏に観光をしていた2人の若いイギリス人将校が殺害された。日本の開国後の激動の初期に日本の外国人コミュニティを揺るがした重大な事件であった。長谷の大仏の見学を終えて六地蔵をすぎ若宮大路に出たあたりで突然道端から抜刀して現れた2名の浪人風の武士に切りつけられたものである。1865年に真犯人として間宮一が自首して幕府は大いに困惑した。すでに蒲池源八、稲笹丑之助の2名と主犯とみられた清水清次郎の検挙もされ、市中引き回し戸部で迅速な処刑が済んでいた。冤罪を隠すために、間宮一のみを秘密裏に断頭して処刑した。
 事件に関心を持ったハロルド・S・ウィリアムズは、1919年から1989年に亡くなるまでの60年間日本に滞在した。彼は、開国後に設立された外国人居留地に特に関心を持って、日本人生活における外国人の役割の学生であった。