2018年1月31日水曜日

シリア内戦では19歳の若者が軒下を歩いているだけで、政府軍の狙撃兵が銃殺した。

シリア内戦は、2011年3月15日から勃発したアサド政権軍と反政府軍の戦闘が勃発して、国際的な内戦として戦闘が継続していたる。2014年4月5日にドゥーマにおいて政府軍と自由シリア軍と交戦した。戦闘地域と非戦闘地域とが混在して、銃声が断続に強烈に響いていた。略奪から放火もされて、路上には破片や薬莢が散らばった。19歳のソルナータが通りの軒下を歩いているだけで、監視している政府軍の狙撃兵に銃殺された。鮮血に染まった死体をお棺に納められた。屋外では、お棺の死体を担ぐ群衆は、殉教者として次々に墓地に埋葬された。


2018年1月30日火曜日

ニジェール共和国は内戦が頻発して、難民らの幼児は無残に肋骨と骸骨が浮き出で瀕死の栄養失調で餓死に陥った。

ニジェール共和国は、サハラ砂漠の南側で、内戦が頻発する地帯にある。連続する軍事クーデターにより、1974年4月にはクンチェ軍事政権が、1996年1月にはマイナサラ軍事政権が、2010年2月にはジボ軍事政権が樹立して、世界でも最貧国となった。軍部のママドゥ政権下で、2004年の大雨で2003年から2005年にサバクトビバッタが大量発生と、2005年から2006年にニジュール食料危機が、2007年にはトゥアグレ人が反政府の武装闘争を展開した。2005年9月に難民キャンプで、無残に肋骨と骸骨が細った幼児らが瀕死の栄養失調で餓死に陥った。長期の下痢と嘔吐が継続して摂食が不可となった。生き残れず神のおほしめしのままになった。



2018年1月29日月曜日

初めて明治初に軍役に当たる20歳以上の日本人男性を集め徴兵検査をした。

明治政府は、1871年2月に薩摩藩・長州藩・土佐藩の武士による御親兵が組織された。しかし旧薩摩藩の反乱である西南戦争などに対抗するため、中央政府は独自の強大な兵力の整備を求めて、1873年1月10日に徴兵令を施行した。地租改正による定率の金納と長男相続制度から、戸主に代わる総てを兵役の対象として徴兵した。市民のような平民階級に課せられた賦役となり、次第に近代的な大衆軍隊を構成した。徴兵検査を受ける義務があった装丁となり、軍役を課せられる20歳以上の日本人男子が初めて集合した。




2018年1月28日日曜日

イラク戦争のフセイン大統領の2人息子の残酷な死体が規制強化から公表で表面化した。

アメリカ軍は、イラク戦争の2003年5月2日の終結宣言後の7月25日に、その後に死刑になった故フセイン大統領の息子2人(長男左にウダイ、次男右にクサイ)の死体をAP通信社から公表した。戦闘により虐殺された衝撃的な残酷な死体であったが、アメリカ軍の死体や捕虜の一切は未公表であった。アメリカ軍の治安悪化の隠蔽と功績、イラク市民の混乱などを象徴させた。大部分のマスコミは死体に対する尊厳と冒涜として自粛して隠蔽するも、日本では毎日新聞が「国民に死亡確認させる狙い」と、2003年7月25日朝刊に2.5段組で掲載した。無修正の残酷な真実が、ベトナム戦争からイラク戦争、内戦干渉に対して、アメリカ軍の撤退と厭戦へと導いた。


2018年1月27日土曜日

劣化ウラン弾から残留放射能による多数の無脳症の新生児が出産された。

イラク紛争により首都のバグダッドのアルウイア病院では、劣化ウラン爆弾からの残留放射能による多数個の無脳症の新生児が出産された。出産には最悪の障害を伴う無脳児となり、近日中に死亡に至った。アメリカ軍は、原子力発電所の廃棄物でもある劣化ウラン弾をイラク紛争で使用した。イラク紛争後も、放射能による遺伝子の影響で、先天性障害だけでなく白血病など悪性腫瘍も増加した。アメリカ軍は1991年の湾岸戦争と2003年のイラク戦から、ボスニア・コソボ紛争からアフガニスタン紛争に、さらに2015年にはイスラム国にも劣化ウラン弾が使用された。しかし、アメリカ政府から世界保健機関(WHO)までもが、劣化ウラン弾の後遺症を否定している。


2018年1月26日金曜日

一般市民から学生の集会が拡大に対抗するために軍隊が無差別の武力弾圧した。

中国の一般市民を含めた学生が、1989年4月より独裁から民主化を求めて集会をした。5月にソビエトのペレストロイカの民主化に影響を受け、次第に集会が拡大して、国内にも波及した。それに対抗するために6月の第一日曜日に軍隊が学生らを無差別に武力弾圧をした。民主化の支持者らを連行して、報道統制して厳格に統制をした。大量の犠牲者の内容は不詳となった。



2018年1月25日木曜日

2名のアメリカ軍兵士が、沖縄の海岸で銃殺された日本軍兵士の死体を眺めて見下ろした。

沖縄戦にて、海岸で日本軍兵士が1945年5月に銃殺された。2名のアメリカ軍兵士がタバコをくわえながら、その死体を眺めて見下ろしていた。沖縄戦は、1945年3月26日から6月23日に終結した。アメリカ軍の圧倒的な火力で、日本軍は5月27日に首里司令部を撤退して、6月23日に摩文仁の軍司令部が崩壊して消滅した。日米の膨大な犠牲により、太平洋戦争が終結に向けて始動した。



2018年1月24日水曜日

日中戦争終結後に中国民主同盟の李公朴が、中国の昆明で国民党の特務警察に暗殺された死体が公表された。

 日中戦争の終結後の1946年1月には、アメリカの斡旋で、戦勝した国民党が中国共産党、中国民主同盟などと政治協商会議で平和建国を決議した。しかし、東北問題の競合から国民党内で3月に反対を決議して内戦の気運が高まった。1946年7月11日に中国民主同盟の李公朴は、中国の昆明で白昼に国民党の特務警察に暗殺されて死体が公表された。李公朴は1927年の国共分裂時に国民党を離党していた。さらに15日には聞一多を銃殺した。国民党の内戦政策と流血事件に対して、アメリカの斡旋が不利な状況に追い込まれた。


2018年1月23日火曜日

日本軍の捕虜となったアメリカ軍兵士が、同志を担架で肩に担いでバターンの死の行進をした。

フィリピンのルソン島にて、日本軍は1942年4月9日から3日間以上にわたり、バターン死の行進を捕虜のアメリカ軍とフィリピン軍兵士に強要した。歩行困難となった同志をアメリカ軍兵士が、簡素な担架に乗せて、2人の肩に担いで長い行列を行進した。日本軍がルソン島に設けたオドンネル強制収容所にたどり着き、先方には外柵が見えた。強制収容所では栄養失調から感染症で死亡し、虐待でも多数のアメリカ軍とフィリピン軍兵士が虐殺された。





2018年1月22日月曜日

武漢の漢口租界に居住の欧州人は、清国軍隊による革命の関係者に対する虐殺の実態を視察した。

中国の清国にて、1911年から12年にかけて共和国である中華民国に至る辛亥革命が勃発した。武装蜂起に対して、清国軍隊は武漢の漢口等において、革命の関係者を逮捕して捕虜とした。捕虜となった多数の革命の関係者らは斬首等で虐殺された。武漢の漢口地区の租界に居住していた欧州人が、その虐殺の実態を視察した。その直後の10月11日には、清国の新式陸軍の内部にて革命同調者が武漢の武昌地域を占領して、辛亥革命が勃発した。



2018年1月21日日曜日

ニューギニア島に日本軍兵士が死亡した白骨の胴体から分離した頭蓋骨が放置された。

太平洋戦争のニューギニア島にてアメリカとオーストラリア軍と日本軍が1942年3月7日から戦闘した。北部のポエキンの村から東の密林にて、日本軍兵士が死亡した白骨の胴体から分離した頭蓋骨が土中に放置されていた。悲劇に死亡した際は歯を食いしばりつつあった。大多数の日本軍兵士は、感染症と飢餓による栄養失調で死亡した。日本軍兵士には、終戦まで引き揚げ命令もなく、約9割が死亡した。



2018年1月20日土曜日

ロシア軍がチェチェン市民らに無差別攻撃により殺害して約900の死体を土豪に放置した。

ロシア軍の特殊部隊が、1995年3月にチェチェンのサマーシ近郊に突撃して、市民の約300名を無差別に殺害した。1995年4月にはチェチェンのグローズヌイにて、市民を含めて無差別攻撃をした。集積された約900の死体が土豪に放置された。遺族らは、これらの死体をかきわけては行方不明の家族を探していた。離脱と独立を目指すチェチェン自治共和国と阻止するロシア連邦軍とのチェチェン紛争が1994年12月11日から2009年4月15日まで勃発して膨大な犠牲者が出てからも、その後もテロリズム事件が継続した。


2018年1月19日金曜日

金州城を占領した日本軍が虐殺した清国兵士の多数の死体が南方の丘上の畑に散在した。

日清戦争において、日本軍は1984年10月24日に清国内の遼東半島の花園口に上陸した。11月6日には清国の大連付近の金州城を占領した。金州城は高家窟の南方の丘上に多数の虐殺された清国兵士の死体が畑の中に散在した。金州から旅順に到る所で、日本軍は清軍敗残兵を掃討するために虐殺を繰り返した。11月21日には旅順口の要塞を占拠して、日本軍が仇討ちとして中国人兵士から市民に至る4日間に及ぶ大量殺人の旅順虐殺事件が勃発した。


2018年1月18日木曜日

逃げ場のないベルリン市内でソ連軍によりドイツ人兵士や市民らが虐殺された死体が散在して膨大な犠牲者が出た。

第2次世界大戦の東部戦線からソ連軍から1945年4月16日からベルリン総攻撃をした。ナチス・ドイツ軍によりロシアを蹂躙されたソ連軍は、22日にベルリン市内に侵攻して復讐として虐殺と蛮行に至った。平地で逃げ場のないベルリン市内でドイツ軍兵士や市民らが虐殺された死体が散在し、膨大な犠牲者が出た。4月30日にヒトラーは自殺して、ソ連ン軍は国会議事堂の頂上に占領した赤旗を掲げ、5月2日にドイツは無条件に全面降伏した。


2018年1月17日水曜日

アメリカ軍の誤爆でテントは一瞬に燃えて、アフガニスタン人の父親が必死で大火傷した娘らを救出した。

アフガニスタン人の家族はザブール州のカラート郊外の広大な山地で羊の放牧をしていた。2009年10月6日の深夜に就寝した時に、アメリカ軍の爆撃機が不審なテントをタリバンの拠点として爆撃した。砲弾によりテントは一瞬にして燃え上がった。父親が必死で大火傷した娘らを救出した。アメリカ軍の空軍は誤爆として、カンダハールまで彼らを空輸して去った。自力で病院に駆け込むも重度の火傷のまま耐え忍んだ。10月9日にノーベル平和賞のバラク・オバマ大統領は、アメリカ軍に追加派兵で約10万人規模にした。