太平洋戦争にて1944年11月10日に弾薬艦であるUSSマウントフッド(Mount Hood A-11)が大爆発して、全搭乗員の約304人全身が死亡した。アメリカ海軍基地があるマニス(Manus)島のロレンガウ(Lorengau)海岸において、水牛のように積み上げられたアメリカ軍兵士の死体が、埋葬のための移送を待機した。アメリカ軍によって戦争写真が検閲されて非公開となった。アメリカ軍当局は、11月10日の爆発後に、乗組員の遺体は一切見つからず、乗組員全員が公式に死亡したと発表していた。
大量の死体を、戦場から遠隔地のアメリカ文化と結びつける視覚的情報は、アメリカ国民にとって受容が困難であった。ナチス・ドイツ軍のユダヤ人の絶滅政策や連合軍により遠くのヨーロッパや日本本土の都市への砲撃によって引き起こされた大量虐殺の残酷性を理解させなかった。第二次世界大戦にて、人間の苦しみを理解することが、すでに困難な課題であることが、戦争写真の検閲を複雑にした。日本軍による襲撃の可能性は低かった。日本軍当局の女性アナウンサーの東京ローズは、爆発発生から2時間以内に、弾薬艦はミゼット潜水艦によって破壊されたとラジオ英語放送した。
1944年11月10日午前8時55分に、太平洋のニューギニア島近海のマニス島の嶼基地のシードラー港に停泊中のアメリカ軍の弾薬艦であるUSSマウントフッドが大爆発した。約3,800トンの爆弾を搭載した弾薬艦から巨大な炎の閃光後に、2回の爆発があった。弾薬艦は、船と乗組員全員が吹き飛ばされて、瓦礫に消滅した。死亡者の多くは、弾薬戦から水中に吹き飛ばされ、マニス島の陸上に運ばれたときに死体は油まみれになった。約296人の乗組員と約22人の将校のうち、マニス島に上陸した14人以外の約304人全員が死亡した。周囲にいた22隻の戦艦にも損害を与えた。弾薬艦の大爆発に巻き込まれて、合計で約372人が死亡して、そのうち327人が行方不明となり、約371人が負傷した。