2025年12月1日月曜日

1983年10月9日にラングーン爆破テロ事件がビルマ(現ミャンマー)のアウンサン霊廟で、北朝鮮の爆破テロにより、死者は韓国側17人(閣僚4人)とビルマ側4人の20人超、負傷者は47人以上の大惨事となった。​

1983年10月9日にラングーン爆破テロ事件がビルマ(現ミャンマー)のアウンサン霊廟で、北朝鮮の爆破テロにより、韓国の閣僚が死亡して、全斗煥大統領は間一髪に、危機を逃れた。夜首都ラングーンで、北朝鮮工作員による爆弾テロであった。ビルマを公式訪問中だった韓国の全斗煥大統領一行の暗殺を狙った。韓国側閣僚を含む多数が死亡し、事件はビルマと北朝鮮の国交断絶に発展した。​

 事件当時、韓国の全斗煥政権は軍事独裁体制への国内外の批判を受けつつも、対北朝鮮強硬姿勢を続けていた。北朝鮮は、全斗煥暗殺を含む対南テロ工作を進め、ビルマ訪問中の要人暗殺計画が立案された。​北朝鮮軍所属の工作員3人は、貨物船でビルマに入国し、在ビルマ北朝鮮大使館員の支援を受けながら、ラングーン市内で犯行準備を行った。10月7日夜、彼らは国父アウンサン将軍の墓所であるアウンサン廟の屋根裏に遠隔操作式の爆弾を設置し、9日の公式参拝に合わせて爆破する計画を整えた。​

 全斗煥大統領一行より先に到着した韓国側要人らが廟前に整列した現地時間午前10時25分ごろに爆弾が爆発し、建物の一部が崩落した。爆発で韓国側では複数の閣僚を含む多数が死亡し、ビルマ側の閣僚や政府関係者も犠牲となり、最終的な死者は韓国側17人(閣僚4人)とビルマ側4人の20人超、負傷者は47人以上の大惨事となった。​

 全斗煥大統領は爆発時にはまだ廟に到着しておらず、わずか数分の差で暗殺を免れた。韓国政府は同日中に緊急閣議を開き、事件を「北朝鮮による組織的な陰謀」と断定し、軍と警察に非常警戒態勢を発令した。ビルマ当局は逃走した工作員の追跡を行い、銃撃戦の末に1人を射殺、2人を負傷捕虜として拘束した。工作員はキム少佐死刑執行、カン上尉終身を執行した。北朝鮮の関与が明確になり、ビルマ政府は「建国の父」アウンサンの墓所をテロの舞台にした行為に強く反発し、同年11月4日に北朝鮮との国交を断絶、国家承認も取り消した。ラングーン事件は、冷戦下の朝鮮半島対立が第三国の国際テロにまで拡大し、北朝鮮はテロ支援国家を一層強める結果となった。