台湾原住民による霧社蜂起は、セデック族幹部が日本軍・警察に追い込まれて1930年12月8日に首吊り自殺して鎮圧された。その縊死体がぶら下がり、右側はモーナ・ルオーダの長男であるタダオ・モーナである。モーナ・ルオーダは、霧社のセデック族の村落のマヘボ社の頭目であった。日本軍との戦闘にて、約700人のセルデック族の蜂起者が死亡して、約500人が捕獲された。それに対して、日本側は日本軍約22人、警察官約6人が死亡した。
台湾の原住民であるセデック族のモーナ・ルダーオの長男やタダオ・モーナらが、日本統治下で最大の抗日蜂起をした霧社事件が勃発した。1930年10月27日に、台湾中部山地の霧社の町において、霧社公学校で行われた運動会の会場に、刀と小銃などで武装した約300人もの台湾原住民の部族が乱入した。モーナ・ルダーオが霧社地域のタイヤル族の約300人を指揮した。その直前に警察署や派出所も襲撃していた。その場にいた子供も含めた約134人が殺害された。直ちに日本の台湾総督府は、日本軍を投入して関与した台湾の原住民を10月29日には掃討して撃退した。約2,700人の日本軍が砲撃や空襲により鎮圧した。抗日蜂起に加担した原住民を掃討して、生存者は強制収容所に収容した。
日清戦争の下関条約により、1895年4月17日に清国から日本に台湾が割譲された。1895年5月25日に、日本への割譲反対を唱える漢人が台湾民主国の建国を宣言した。進駐した日本軍との乙未戦争に発展して。台湾民主国は崩壊して、1896年から台湾総督府により、植民地に統治された。台湾の原住民は、過酷な強制労働や弾圧、警察への反感から非人道的な虐待や虐殺をされていた。日本人が原住民の女性を、内縁の妻に扱った婚姻問題に、原住民の結婚式で発生した殴打事件が引き金となった。タダオ・モーナが、1930年10月7日の結婚式にて、日本人巡査を殴打した。1931年4月25日には、霧社事件で投降したセデック族が、対立したタウアツ社を襲撃して約216人を殺害した第二霧社事件が勃発した。